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2022年3月15日 (火)

弘福禅寺の石仏(墨田区向島)

長命寺の南隣りにある弘福禅寺は黄檗宗(おうばくしゅう)という珍しい禅宗の寺院。黄檗宗は中国色の強い禅寺で、かつて臨済宗から分かれた宗派である。弘福禅寺の創建は延宝6年(1673)の創建で、かつて墨田村香盛島(高森島)にあった小庵を始まりとして鉄牛道機禅師が創建したとされる。江戸時代この辺りの墨堤は桜の名所でたいそう賑わっていたという。

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山門をくぐると正面にさらに迫力のある本堂がある。本堂手前の右側には咳の爺婆尊の堂宇がある。手前には対の大きな燈籠があり、堂宇を覗くと丸っこい二体の像が祀られている。

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堂宇前には風邪除けとともにコロナ封じという張り紙も見られた。口中に病のある者は爺に、咳を病む者は婆に祈願し、全快の折には、煎り豆と番茶を添えて供養するという風習が伝わっている。関東大震災で焼失してしまった七堂伽藍は再建されなかったが、本堂と山門は昭和8年(1933)に再建されたものである。

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その再建時の経緯を刻んだ石塔が本堂手前に立っていた。下部には霊亀が石塔を支えている。古くからこの空想上の動物はしばしば石仏石塔の基壇になっている。造立年は昭和9年(1934)11月で、本堂再建の翌年である。

場所  墨田区向島5丁目3-2

柳田国男氏の『日本の伝説』に「咳のおば様」の章があり、そこに弘福寺の咳婆の経緯が記されていた。(以下カッコ内引用)

「江戸時代にはまだ方々に、この石のおば様があったそうであります。築地二丁目の稲葉対馬守という大名の中屋敷にも、有名な咳の婆さんがあって、百日咳などで難儀をする児童の親は、そっと門番に頼んで、この御屋敷の内へその石を拝みにはいりました。

もとは老女の形によく似た二尺余りの天然の石だったともいいますが、いつの頃よりか、ちゃんと彫刻した石の像になって、しかも爺さんの像と二つ揃っていました。婆さんの方は幾分か柔和で小さく、爺さんは大きくて恐ろしい顔をしていたどうですが、おかしいことには、両人は甚だ仲が悪く、一つ所に置くと、きっと爺さんの方が倒されていたといって、少し引き離して別々にしてありました。

咳の願掛けに行く人は、必ず豆や霰餅の炒り物を持参して、煎じ茶と共にこれを両方の石の像に供えました。そうして最もよくきく頼み方は、始めに婆様に咳を治して下さいと一通り頼んでおいて、次ぎに爺様のところへ行ってこういうのだそうです。おじいさん、今あちらで咳の病気のことを頼んで来ましたが、どうも婆どのの手際では覚束ない。何分御前様にもよろしく願いますといって帰る。そうすると殊に早く全快するという評判でありました。

この仲のよくない爺婆の石像は、明治時代になって、暫くどこへ行ったか行方不明になっていましたが、後に隅田川東の牛島の弘福寺へ引っ越していることが分かりました。」

おそらく柳田国男氏の記述なので間違いはないだろう。出所は「十方庵遊歴雑記五編」という書物らしい。

<2022年3月23日追記>

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