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2022年3月 9日 (水)

善慶寺の石仏(大田区山王)

大田区山王は大昔の荏原台の波打ち際。現在東海道線が通っている辺りから先は海だった。江戸時代の東海道は京浜急行線の近くを通っていたが、中世以前は荏原台に相模方面へ行く道が通っていた。大森駅の西側を通る池上通りはかつての鎌倉街道。この鎌倉街道から参道を持つ寺院が善慶寺である。

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創建は古く、正応4年(1291)当地の増田三郎右衛門が日蓮宗の日法上人に帰依して創建したと伝えられる。江戸時代には裏山にある山王熊野神社と環七の向こう側にある新井宿春日神社の別当を務めていた。

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善慶寺で有名なのがこの墓である。「新井宿義民六人衆の墓」で、江戸時代前期の延宝4年(1676)に過酷な領主の年貢の収奪に耐えかねた新井宿村の農民代表6人が幕府(将軍徳川家綱)に直訴を決行しようとしたが、事前に領主に見つかり捕らえられ現在の内神田である神田橋門外の木原内匠邸で斬首されたという話である。この話は村人に語り継がれ、縁故筋にあたる間宮藤八郎が両親の墓を作ると申告して延宝8年(1679)正月にこの墓を建てた(正月なので西暦は1年少ない)。正面には両親の名、裏面に六義民の名が刻まれている。

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義民衆の墓の後ろにひっそりと板碑型の供養塔が立っている。こちらは延宝8年(1680)11月の紀年が入っているが文字が読み取れず、正面中央の南無妙法蓮華経と紀年のみ確認できた。義民六人衆との関係は分からない。大田区の資料によると、日蓮宗の供養塔で題目講によるものらしい。ちなみに義民六人衆の名前(俗名)は、間宮新五郎、間宮太郎兵衛、酒井権左衛門、鈴木大炊之助、平林十郎左衛門、酒井善四郎とあるが、農民でも既に姓があったのかと驚いた。

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本堂横にある大きな供養塔は開基供養塔。善慶寺の開基である日法を供養したもので、弘化4年(1847)9月の造立。施主は品川本宿池田屋捴左衛門、石工は古市場石工巳之助の銘がある。

場所  大田区山王3丁目22-16

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