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2022年3月13日 (日)

密厳院の石仏(大田区大森北)

大森駅東口から八幡通りを海側に向かって歩くと10分ほどで密厳院に着く。八幡山密厳院祈念寺は真言宗の寺院で、文安5年(1448)に法印雲誉が創建。以前は磐井神社の別当寺であった。この地域は不入斗村(いりやまずむら)の一画だが昔は大きな寺院で、駅前の鷲神社の辺りに大門があったと伝えられる。

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山門をくぐると右側に3基の石仏が祀られた堂宇がある。右は聖観音菩薩像で「帰元浄還禅定門」「厳西入遺宝永6年(1708)正月」とあるのでもとは墓石だった可能性が高い。中央にあるのは丸彫の地蔵菩薩立像で沢山の千羽鶴が掛けられている。「お七地蔵」とよばれ造立年は貞享2年(1685)2月。

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お七地蔵は明暦の大火<天和2年(1682)12月>を引き起こしたとされた八百屋お七の霊を慰めるために建立されたもの。お七が処刑されて亡くなったのは天和3年(1683)で、その三回忌に小石川村百万遍の念仏講中によって造立されたため、造立年は貞享2年(1685)2月である。元は鈴ヶ森刑場に祀られていたが、ある夜突然ここに飛んで移ってきたという伝説がある。左の舟型光背型の定印阿弥陀如来坐像の造立年は寛文2年(1662)霜月(11月)とある。「奉修庚待供養所」の文字が見える。この時期の主尊はさまざまである。

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地蔵堂の左には2基の石塔がある。右は「南無遍照金剛」とあり光明講中による供養塔らしい。左の自然石は「森本霊神碑」と刻まれている。造立は明治33年(1900)11月でそれほど古いものではない。木曽御嶽講のひとつで、明心講という講中によって建立されたものらしい。いろいろな講中があったことがわかる。

場所  大田区大森北3丁目5-4

 

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コメント

寺社巡りを趣味とする者で、本ブログの情報には細かい石仏探索に大変助けられています。
先日、大森を散策中に偶然にも道祖神を一体発見しましたので、報告いたします。
大森北6-1-18「今溝ビル」の南西にある植え込みの中に、石像の左半分だけ覗いていたのが歩行中にふと目に留まり、手前のツツジの枝を脇へ寄せてみて、道祖神であることを確認しました。
ささやかな情報ですが、お役に立てば幸いです。

投稿: 神崎 悟 | 2024年6月30日 (日) 19時55分


神崎 悟さん

RES遅れて申し訳ありません。お読みいただいてありがとうございます。沢田通りのビルの植込みの中ですか。まったくノーマークでした。ありがとうございます。大田区の資料にも載っていませんでした。今度訪問してみたいと思います。

投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2024年7月 3日 (水) 21時09分

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