観蔵院は石仏が多いので門前と境内に分けることにした。観蔵院は真言宗の寺院で、創建年代は不詳。三宝寺の塔頭だったようだが、文明9年(1477)に現在地へ移転したという記録。本堂脇に薬師堂があり日出薬師とよばれている。現在も石神井川には練馬高野台駅前に薬師堂橋があるが、大昔には薬師堂がその辺りにあり、後に現在地へ移転した名残りと言われている。

本来こちら側は山門ではなく通用門(北門)。右のお城のような壁の建物は曼荼羅美術館である。本来の山門は南側になる。この北門の前にたくさんの石仏が並んでいる。

一番手前にあるのは櫛型角柱型の馬頭観音。ゼニゴケと汚れで文字が読みづらい。正面には「馬頭観世音」とあり、造立年は明治24年(1891)3月。左側面に施主銘があり「鴨下▢五郎」と読める。

継にあるのは先のやや尖った角柱型の庚申塔。正面には三猿が陽刻されている。その上には「庚申供養 奉待 一結成就所」とあり、左面には宝永2年(1705)10月の紀年と「田中村」の銘がある。右面には「武刕豊嶋郡たなかむら」とあり両方に地名があるのは珍しい。下部には三面に合計12人の願主名がある。

隣りに笠付角柱型の立派な僧侶の墓石で文政8年(1823)の造立。その隣にはさらに二回り大きな笠付角柱型の庚申塔がある。庚申塔の造立年は宝永元年(1704)11月。正面には「奉待庚申供養所願成就所」とあり、基壇に三猿が彫られている。右石面には「武刕豊嶋郡田中村 本願」の文字が刻まれている。三猿の下にずらり刻まれた願主名は13名あったが、平井姓3人、蓮見姓2人、坂本姓2人のほかはバラバラ。

壮観なのはこの六地蔵とその中心主導の7体の地蔵菩薩。六地蔵は元文2年(1737)の造立で右端の台石に「奉造立 地蔵菩薩尊像六躯」とあり、右から二番目には紀年が記されている。その他には偈文らしきものが書かれているが、左から三番目には「田中村 地蔵講中 四十六人」とある。中央の主尊は享保12年(1727)11月の造立で「武刕豊嶋郡田中村 講中三十三人」「願主 平井次九衛門」「奉造立地蔵菩薩尊像一躯」と基壇には書かれていた。

一番奥にあるのは2基の角柱型の馬頭観音。左の背の高い角柱は中折れしていて文字が欠損しているので確実ではないが上部尊像の頭部の膨らみなどから推量するにおそらく馬頭観音だろう。造立年は文政6年(1823)で、これもゼニゴケで文字が読み取れない。右の小さな櫛型角柱型の馬頭観音は正面に「馬頭観世音」とあり、裏面には昭和17年(1942)3月の紀年が刻まれている。施主名は瀧澤▢▢で下部には名前があるが土汚れで読めなかった。
場所 練馬区南田中4丁目15-24
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