三宝寺の庚申塔(練馬区石神井台)
真言宗の三宝寺は室町時代の応永元年(1394)に鎌倉大楽寺の大僧都法印が創建した古刹。石神井城落城の頃、文明9年(1477)に太田道灌により現在地に移転したと伝えられる。元の場所は「武蔵豊島郡石神井郷小仲原の地が、石神井川の清流を前にし、三宝寺川の谷を後にする、霊亀状丘陵の頂点たる景勝を嘉し、此所に真言の道場として一宇の浄舎を建立した。」とあるので、それほど離れてはいない場所だったと思われる。
三宝寺は室町時代以降何度か焼け落ちているが、現存の建物の中ではこの山門が文政10年(1827)築で最も古いようだ。この山門は元々徳川家光が鷹狩りの際にやってきた門ということで御成門と呼ばれたらしい。三宝寺にはもうひとつ山門があり「長屋門」と呼ばれている。それは山門の東側にあり、もともとは勝海舟邸にあった門で、区内朝日町兎月苑に移築されていたものを昭和35年(1960)に移築したもの。
その長屋門の前に大型の駒型庚申塔が建っている。造立年は元禄13年(1700)12月で、日月、青面金剛像、三猿の比較的シンプルな図柄である。脇には「奉造立庚申講」「武列豊嶋郡」とあり、本願は栗原金左衛門。下石神井道場寺村 願主同行八人、上石神井大門村 同行廿四人とあるので、2村による共同の造立である。
三宝寺には2基の庚申塔があるがもう一基は本堂前に六地蔵と並んでいる。こちらも駒型の庚申塔で、造立年は元禄9年(1696)11月。日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿の図柄で、施主名は八方勘次郎、同行十八人とある。傍には庚申塔移転由来(昭和47年)という石碑があり、それによると下石神井1丁目604番地より移転したとある。おそらく東通りの地蔵に向かう旧道の辺りだろう。
※三宝寺はその他の石仏も多数あるため二部に分割していることをご了承いただきたい。
場所 練馬区石神井台1丁目15-6
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