東覚寺の石仏(江東区亀戸)
江東区北十間川の南にある香取小学校、その南にあるのが真言宗の東覚寺。創建は享禄4年(1531)だが当時は現在の猿江恩賜公園の南端の東京ガス深川グラウンド辺りにあったという。しかし明治34年(1901)覚王寺を併合して現在の場所に移転した。
門前の石柱にあるのは「不動明王」という文字。東覚寺の本尊は不動明王木像。しかも相模国の大山寺と同木の作と言われる。「享禄4年(1531)に玄覚法印が住む草庵に笈(おい:修験者が仏具を入れて背負う足付きの木箱)を背負った敬虔な女性信者がやってきた。翌朝、一人の男が立ちすくんでいるのに玄覚が気づき、どうしたのかと聞いても何も答えない。すると女性信者が自分が背負ってきた不動尊の罰だろうと言って、その男の前で祈ると男は回復した。法印が不思議に思い女性に尋ねると、良弁僧正が大山寺を開いた時、女性の先祖が手伝いをし、良弁は感謝してこの不動尊を渡し、ご利益で難から逃れられると言ったという。その後25代にわたり不動尊は守られたという。玄覚は女性にこの場所に不動尊を留めることを提案し、女性は同意したのでこの寺に大山寺と同じ木の不動尊が残った」という経緯らしい。
大山寺の開山は縁起によると天保勝宝7年(755)であり、その時代の木造が今に伝わるというのは凄い事である。本堂前には大きな宝篋印塔や燈籠がある。この燈籠は延宝9年(1681)5月のもので、江戸時代初期の見事なものである。写真は省略したが向かいに立っている宝篋印塔は細やかな彫りこみが素晴らしいもの。
墓所の中央を西側の隅に進むと「舎利塔」と書かれた台に古くてきれいな石仏が並んでいる。どれももとは墓石のようだ。中央左の聖観音像は寛文9年(1669)2月の造立。右隣りの少し破損が目立つ方はもっと素晴らしい彫り技術の聖観音像で、2月という文字は見えるが年が不明。おそらく同じ年に造られたのではないかと思う。
舎利塔の向かいにあったのが駒型の庚申塔。造立年はどこにも刻まれていなかった。駒型で、前面下部に三角フォーメーションで三猿が陽刻されている。その他の情報は何も記されていなかった。
場所 江東区亀戸4丁目24-1
| 固定リンク
コメント