三宝寺の石仏(練馬区石神井台)
三宝寺には沢山の石仏がある。とうぜん墓所も広いので墓石が多いのだが、歴史があるだけにその数も凄い。本堂を左に行くと四国八十八ヶ所お砂踏霊場というエリアがあり、八十八ヶ所それぞれの石仏があってここを廻るだけでご利益があるという。その奥には奥の院(大師堂)があり、左手には根本大塔、その脇の壁には数百の墓石石塔がずらりと並んでおり圧巻である。
この中の99%は墓石だが一部馬頭観音が混じっていた。それを確認していくのが大変なのだがこれまた面白いもの。如意輪観音、聖観音、地蔵菩薩の中に稀に馬頭観音が見つかる。
まずは櫛型角柱型の馬頭観世音。造立年は明治41年(1908)6月とある。側面は詰まっているので確認できない。もう一つは角柱型の馬頭観音で、造立年は明治39年(1906)8月。こちらも側面は見られない。
少し奥に進むと目立っていたのが自然石で造られた馬頭観世音。造立年は明治11年(1878)4月。その先にも角柱型の馬頭観音があったがこれは側面確認できず、右側面には何も書かれていなかった。造立年も不詳である。
奥側の列にはひときわ背の高い目立つ馬頭観音があった。造立年は安永9年(1780)3月。正面には大きく「南無馬頭観世音菩薩」と彫られている。右の写真は本堂の手前にあった手水鉢で使われていないもの。側面に享和3年(1803)2月の造立年が刻まれ、「豊嶋郡上石神井 西村氏子中」の銘がある。
本堂前に並ぶ舟型光背型の六地蔵は享保18年(1733)の造立。脇に移設の経緯が書かれた石碑が建っている。もとは下石神井1丁目626に7の本橋紹作家にあったが、耕地整理が進み住宅が密集してきたため、昭和35年(1960)4月に三宝寺に移したと書かれている。庚申塔と同じような経緯をたどっているようだ。
山門から外に出た脇にあるのがこの亀乗地蔵である。基壇と地蔵の間の敷茄子部に亀の彫刻があるためだと思われる。造立年は寛政3年(1791)7月。「施主 武刕多摩郡上井門村? ▢▢八右衛門 婦」と記されている。石仏に関しては奥から手前の順になってしまった。
場所 練馬区石神井台1丁目15-6
| 固定リンク
コメント