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2022年5月27日 (金)

龍眼寺の石仏(江東区亀戸)

現在の住居表示は亀戸3丁目だが、亀戸三丁目は江戸時代、東側は亀戸村、西側は柳島村という別々の村だった。墨田文化オリンピックの前の境橋から南に下る道が東西の境でもあったので、北十間川南側にわずかにあった町人区域は道の東側が亀戸境町、西側が柳島境町と言った。龍眼寺は柳島村にあり、寺の西側には横十間川が南北に流れる。

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龍眼寺は応永2年(1395)の創建で室町時代の千葉氏の一族で新田義興の家臣であった澤良和尚の開基。諸国を回り、この地で柳の樹の下に草庵を結んだのが始まりという。また寺は萩寺として江戸時代から有名で、多くの文人墨客が訪れたので誌碑も多い。本堂は八角堂になっており夢殿を模したようだ。創建当時は柳源寺と名付けたらしいが、いつからから龍眼寺となった。

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本堂の近くに古い角柱型の庚申塔がある。どうも江東区では最古の庚申塔らしい。上部に三猿が陽刻されており、その下に「奉造立庚申影像一基二世安楽所」とある。夫婦10組の願主名が刻まれ、彼らが現世来世の安楽を祈願したもので、造立年は万治2年(1659)12月(区の推定)。この時代は柳島村が成立したばかりの時代で、荒れ地と湿地のこの辺りを彼らは開墾して生活していたのだろう。

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客殿前にあるのがこの頂上部分にくぼみのある石塔。正面には「日本六十余刕大小神祗」とあり、神祇とは広義では天地の神々の意、狭義では土地の神様を指すようだ。左面には「融通念佛供養像」、裏面には造立年が正徳5年(1715)4月とあり、右面には「梵天帝釈四天王▢」と書かれている。一体何の供養塔なのかは分からない。

場所  江東区亀戸3丁目34-2

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