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2022年6月10日 (金)

関のかんかん地蔵(練馬区関町東)

練馬区関町は関町東、関町北、関町南に分かれるが、元は関村。村の中程を東西に走るのが青梅街道でこれは道筋も江戸時代から変わらない。昔は街道沿いが村の中心部で、その北側の地名を地蔵裏と呼んだ。かんかん地蔵の裏手という意味だが、ここが村の中心地だったようだ。

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広い青梅街道の路傍にトタン屋根の堂宇があり、その中には3基の古い石仏が祀られている。脇に説明板があり、そこには「この地蔵は江戸時代中頃に造立されたと思われるが、石で叩けば願い事が叶うと言われ、長い間叩かれてきた為、足元が細くなったので最近補修された」とある。かんかん地蔵というのはこの叩いた時の音を表したものである。

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中央の丸彫地蔵がそのかんかん地蔵で、一説には正徳元年(1711)11月の造立とされている。ちょうど膝の辺りから下が補修され、基壇も新しくなっているようだ。右の石仏は胎蔵大日如来坐像で、これは享保14年(1729)10月の造立。「奉▢大乗妙典二世安樂處」とあり、武州豊嶋郡関村 法名道譽の銘がある。

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左端の笠付角柱型の石仏は庚申塔かと思ったが、実は勢至菩薩であった。寛保元年(1741)桂月の造立年があるので陰暦の8月、今でいえば9月の秋分の頃である。台石には「田中氏 講中 拾四人」とあり、左脇には「武刕豊嶋郡関村」の銘がある。堂宇の後ろには三宝寺の受納證が複数掲げられており、昔から三宝寺の管理である。しかし補修や堂宇に関しては、信者の方の寄附によるものだと伝えらえる。(練馬の古老の話より

場所  練馬区関町東1丁目18-2

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