三十番七面大明神(足立区足立)
珍しい神社である。「三十番七面大明神」というのは初めて聞いた名前だった。まずこの小さな神社の西の辻に「番神橋跡」という石碑がある。またこの東西の通りはばんじん通りと呼ばれている。この起源が三十番七面大明神らしい。江戸時代以前からこの地の豪族であった鴨下家の屋敷神として祀られていた。三十番神とは30の神々が一日交代で日本を守護するという信仰で、七面大明神は身延山を守護する七面山の神を指すという。これらの元は日蓮宗のようだ。
神社の社は屋敷稲荷程度の大きさで驚くほど小さい。鳥居も木製の簡素なものだが霊験あらたかな気配がある。鳥居の先左のブロック塀側に石仏が並んでいる。手前から3基が庚申塔である。
右側の背の高い駒型の庚申塔は、享保10年(1725)2月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれているが、その下には多数、他地域の願主名が刻まれている。中央の駒型庚申塔は享保7年(1722)9月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄である。左の角柱板型の庚申塔は文久2年(1862)12月のもの。青面金剛像、邪鬼、三猿が陽刻され、青面金剛はショケラを下げている。側面には「鴨下氏」と刻まれていた。
場所 足立区足立2丁目8-4
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