本木胡録神社の庚申塔(足立区本木南町)
胡録神社というのはもともと第六天を祀っていた神社で、本木胡録神社もその一柱である。第六→大六→小六→胡録と変わったという説がある。この神社は寛永2年(1625)に地元の豪族阿出川氏が邸内に祀った第六天が始まりと伝えられる。胡録という名は限られた地域にのみ定められ、その由来は分からないが明治初期の政策らしい。
鳥居と本殿が中央にあるが、その右のほうにエンジ色の小さな屋根があり、その下に三基の石仏が祀られている。庚申塔が2基、六十六部供養塔が1基である。左端が供養塔で、延享3年(1746)8月の造立。詳しくは銘文をメモし忘れてしまった。中央がここの主役の板碑型庚申塔。山王二十一社本地仏をいう種子を刻んだもので、比叡山日吉神社が祀っている二十一社の本地仏を祀ったものは板碑時代に出現し江戸時代まで見られるという。この庚申塔の造立年は寛文3年(1663)9月であるから、山王を祀る庚申塔としては末期と思われる。下部には三猿が陽刻され、その上には「二世安樂」と書かれている。
右端の大きな駒型の庚申塔は享保12年(1727)9月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれている。「奉供養庚申講中二世安樂所」と刻まれ、「本木村 森下講中十三人」の銘がある。森下の地名については調べてみたが分からなかった。おそらくはこの辺りの小字だろうと推定したのだが。
場所 足立区本木南町4-2
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