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2022年7月27日 (水)

正覚寺の石仏(葛飾区小菅)

小菅一丁目は荒川放水路と綾瀬川が合流する最後の三角地帯。高速道路よりも荒川側には東京都水道局の水処理施設があり、屋上が公園やフットサル場になっている。民家は殆どないがお寺が一軒だけ、それが正覚寺である。小菅の地名の由来については菅は「かや」で、この辺一帯古隅田川に面し、茅などが密生していたのが由来という。

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正覚寺は真言宗の寺院で安土桃山時代の創建とされる。山門は閉まっていたが、左側の通用門が開いていたのでそちらからお邪魔する。すぐに枯れた古木の洞(うろ)に石仏があり、その隣には弘法大師堂がある。

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弘法大師堂の裏にひっそりと隠されたように駒型の庚申塔が立っていた。葛飾区の資料にも載っていないが、どこから持ち込まれたものだろうか。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が陽刻され、右側には「奉造立庚申供養」とあり、左側にかろうじて紀年が見える。造立年は享保4年(1719)9月である。地名などは書かれていないようだ。

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その先には正覚寺で最も有名な念仏結集地蔵がある。きちんとした説明板が立てられている。造立年は寛文元年(1661)霜月(11月)とある。念仏結集を願う兵左衛門と同行衆によって建立された。右の紀年に続いて「六親菩提施主敬白」、左側には「念佛結集本願兵左衛門同行廿一人」と刻まれている。

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その先の小さな舟型光背型の地蔵半跏像も興味深い。造立年代は不詳ながら区の資料では江戸時代と推定している。輪光があり、半跏像になっている。

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すぐ近くにある舟型光背型の地蔵菩薩は庚申地蔵。若干周辺の欠損が見られるが、右側には「奉念申供養…」とあり、左側には元禄10年(1697)の紀年が読める。月以下は摩滅していて読み取れない。こういう下半分の摩滅が激しい石仏があるが、どういう原因でそうなるのだろうか。土に埋まっていたとか、そういう想像をするが確信はない。

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その先にあった小さな舟型光背型の地蔵菩薩像には三猿が描かれていた。猿があることで庚申地蔵だと思われる。文字はどこにも見られないので造立年は分からない。

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墓所入口には六地蔵と中心の舟型地蔵が吹き抜け堂宇に祀られている。六地蔵は丸彫だが中央の地蔵は舟型光背型。刻銘には「庚申念佛二世安樂」とあるので庚申地蔵。寛文3年(1663)8月の造立年があり、同行9人攸と続いている。

拝観はできなかったが正覚寺には「とげぬき地蔵」という古い石地蔵が納められているという。この地蔵は、以前に旧水戸街道の北側にあったものを、大正4年の荒川の開削工事の折に正覚寺に移設したもの。とげぬきは「咎(とが)抜き」の転訛で、小菅監獄から罪を終えての帰途、この地蔵に願を掛けると罪が抜けるというのでいつしか「とがぬき」が「とげぬき」になって伝わったものだという。

場所  葛飾区小菅1丁目3-6

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コメント

TATSU様
ありがとうございます。訪問時のメモを再確認すると、おっしゃる通り「申」でした。お名前に気づかず失礼しましたが、ライブドアブログで庚申塔の素晴らしいサイトをお作りになっているTATSU様ですね。私のほうこそTATSU様のサイトをしばしば参考にさせていただいております。60代になり足腰の鈍りを鍛える副産物で歩き回っております。今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2022年7月28日 (木) 21時31分

いつも参考にさせていただいています。
元禄10年塔の右側の銘文は
「奉念佛供養」==>「奉念申供養」だと思いますが。

投稿: TATSU | 2022年7月28日 (木) 09時09分

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