常楽寺の庚申塔(足立区竹の塚)
足立区竹の塚が地名で竹ノ塚駅とは表記のカナ部分が異なる。もともとは武蔵国足立郡竹塚村で地域には多くの塚(古墳)がありその塚に竹が自生しており竹塚(たけのづか)という地名になったという。読みに濁りが消えたのは昭和41年の住居表示変更に伴ってのこと。近代の地名が歴史を重んじていない事には毎度ながら残念に感じる。
竹ノ塚駅から南へ800mほど、大正時代までは渕江村に属していた地域に常楽寺がある。東には南北に日光街道が通り、それに合流する越谷方面からの赤山街道の少し南に寺はある。赤山街道は江戸時代初期、江戸の治水を担当した伊奈氏が川口市の赤山陣屋からの土木道で、水路と道路が並んでいた。常楽寺の東300mにある増田橋で日光街道と接続していた。
山門をくぐり右の新しい六地蔵の裏手にあるのが自然石の石仏(詳細不明)と笠付角柱型の庚申塔。この庚申塔は天保11年(1840)3月の造立で、大きな笠の下に青面金剛像、邪鬼が陰刻され、その下に三猿が陽刻されている。資料によると地面に埋まっている台石の正面には「庚申講」と彫られているようだ。山門脇には古い六地蔵が纏まって納められていたが、古い六地蔵の方が新しいものよりも魅力的であった。
場所 足立区竹の塚1丁目10-16
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