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2022年7月25日 (月)

薬師寺墓所の石仏(足立区綾瀬)

薬師寺の続き。薬師寺の参道の突き当りには本堂があり、左手には薬師堂が建っている。本堂には発掘された板碑が保存してあるという。ひとつは造立年不詳だがもう一つは区の有形文化財になっており、文正2年(1467)の銘があるらしい。文正は1466年2月28日に始まり、翌年の3月5日には次の応仁になっている。時の室町将軍は北山文化の足利義政。文政2年には応仁の乱が始まってこれ以降10年間京の都は荒廃した。

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この辺りは江戸時代以前は低湿地帯で、人の居住には適さないと思われていたが、板碑が出土したのはここで人の営みがあったという証拠になる。左の薬師堂内には本尊の薬師如来があるという。両脇を日光菩薩、月光菩薩が挟んでいるという。薬師堂の手前を左に行くと墓所に至る。

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最初にあったのは新しい馬頭観世音菩薩。舟型光背型できちんとした造りになっているが本体に造立年はなかった。基壇の側面に「永代供養料金百万円奉納 為馬頭観音菩薩倍増法楽也 平成15年(2003)3月」と書かれたプレートがあった。21世紀に造られた馬頭観音の意味合いは何だろうと不思議に思った。

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その先には舟型光背型の六地蔵と丸彫の地蔵、そしてもう1基舟型光背型の地蔵が堂宇に並んでいる。六地蔵の造立は彫りや文言から見て同一年代だと思われるが、同行40人というのが複数あるだけで、造立年は分からない。右端の舟型の地蔵は墓石のようだが、寛文5年(1665)正月の造立年が刻まれていた。

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その先には圧倒的な広さと規模で無縁仏が集め並べられている。中央の丸彫の石仏がみちびき地蔵である。墓地の区画整理を行った際、多くの無縁の墓石があり、一カ所に集めて無縁塔を建立し、石彫家八柳五兵衛氏に制作を依頼した地蔵尊をその中心に据えて「みちびき地蔵」と名付けたもの。

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みちびき地蔵の両脇に立つ石仏は、向かって左側が舟型光背型の如意輪観音像で墓石だが、造立年は元禄2年(1689)5月と古いもの。右は上の写真の舟型の聖観音像で、こちらは元禄13年(1700)11月の造立。ただ観音の左肩に「庚申供養造立之祈所」とあることから庚申講中によるものと判断できる。

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無縁仏のずっと左の端の方、ほぼ六地蔵の堂宇に近いところに1基の舟型光背型の地蔵菩薩立像がある。頂部が少し欠けているが、右側には「為庚申供養之造立也 施主 敬白」と書かれており、造立年は寛文9年(1669)正月と刻まれている。ちなみに薬師寺の辺りは戦前は伊藤谷(いとや)と呼ばれていた。現在も綾瀬川に架かる伊藤谷橋や伊藤谷公園に名前が残っている。

場所  足立区綾瀬1丁目14-20

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