浄慶庵の石仏(葛飾区堀切)
堀切にある真言宗の浄慶庵は正王寺所属の庵室。昔この地域は下千葉と呼ばれ、さらに江戸時代に遡ると下千葉村という村であった。その下千葉村の郷士相川重右衛門が開祖となり創建したと伝えられる。年代は不明。境内には相川家の墓が多い。
規模は小さめの寺院だが、墓石も含めて古いものが多く魅力的であった。寺前の道は曲がっているがこの曲がりは江戸時代の地図も明治時代の地図も同じように曲がっており、古くからの道である。明治時代以前はここから北はほぼ農地で、民家は南にのみあった。
境内に入るとすぐに3基の石仏が迎えてくれる。右端は駒型の庚申塔で上部に日月、下部に二猿というちょっと変わった像容。造立年は寛文8年(1668)9月と古い。「奉造立石塔一宇庚申供養二世安樂所」と正面には刻まれている。中央は板碑型の庚申塔。造立年はさらに古く明暦2年(1656)8月とある。「奉待庚申供養二世安樂成就攸」「武刕江戸田所町 小▢▢左衛門 施主 敬白」とある。田所町というのは日本橋にあった町名で現在の日本橋堀留町あたりである。左の不動明王像は明和6年(1769)10月の造立。竿部に「奉供養日本廻国 浄苑 恵観」とあり、側面には「法界会識永離宮苦道」と書かれている。
左脇には板碑型と自然石の石仏があるがどちらも墓石のようだ。左の板碑型の供養塔は寛文8年(1668)8月、右の自然石の供養塔は不詳。左の墓石の基壇には相川とあるのでこれも相川家のものだろう。
本堂の裏手にはいくつかの相川家の墓所があり、その手前に板碑型の供養塔がある。造立年は寛文4年(1664)2月彼岸で、正面に刻まれた文言から、相川文右門夫妻が生前供養(逆修)として信仰する湯殿山の供養塔を建てたものらしい。「奉造立石佛一基湯殿山供養二世成就之所」と刻まれている。一般的には出羽三山(月山、湯殿山、羽黒山)とするのだが、湯殿山のみというのが意外に珍しい。
場所 葛飾区堀切6丁目30-24
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