足立区加平にある円泉寺は浄土宗の寺院。正保3年(1646)の開山。この辺りは当時嘉兵衛新田と呼ばれ、名主伊藤嘉兵衛と同じころ開拓に加わった吉田家が中心になって建てられたようだ。

円泉寺には多くの石仏が保存されている。山門を入り左側にずらりと並んでいるのは壮観である。地蔵あり、庚申塔あり、供養塔あり、宝篋印塔ありと多彩だがどれもなかなかのものであった。

一番奥にあったのは舟型光背型の六地蔵。きれいにそろっている。基壇には造立年の明和4年(1767)11月という記述に始まり、「邑中 庚講中 」と書かれており、庚申講中による六地蔵の可能性もある。

六地蔵の手前には5基の庚申塔が一つの台に載せられていた。それぞれ大きさと像形が異なっていて面白い。自然石庚申塔1基、駒型庚申塔3基、舟型庚申塔1基が並ぶ。

まず右端は自然石型の庚申塔で、正面には「庚申塚」の文字がある。造立年を探してみたがどこにもない。左の斜め側面には「當村大工八五郎 小合村大工茂八」の銘がある。小合村というのは馴染みのない地名だが、享保14年(1729)に古利根川の流路の付け替えが行われた当時今の水元辺りにあった村らしい。隣りの駒型庚申塔は寛政9年(1797)正月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で左手にはショケラを下げている。

中央の舟型光背型の庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれたものだが、造立年が見当たらなかった。寺の説明板によると、施主名に弾誉上人吉田三右エ門の名があり、その人物は円泉寺の第12代住職で享保18年(1733)9月に没しているので、その当時のものと記されている。青面金剛の足下の辺りに文字が見えるが現在は読み取れる状態ではない。

左の小さな2基の庚申塔は、右が青面金剛の駒型、左が文字の駒型である。右の青面金剛の像は、日月、青面金剛、邪鬼、三猿の図柄。側面に紀年が見えるが文政12年(1828)のようだ。しかしその下が読み取れない。左端の文字庚申塔は正面に「青面金剛」と刻まれ、こちらの造立年は文政11年(1761)12月とあるがこれもかろうじて読める程度。なぜか足立区の資料には宝暦11年と載っている。

山門近くにあるのがこの剛健な宝篋印塔。こちらは文化6年(1809)7月の造立で、施主名が吉田増右衛門とある。やはり円泉寺は吉田家の銘が多いようである。

もっとも山門側にあるのが3基の巡拝塔。右から櫛型の大乗妙典日本廻国六十六部供養塔で明和元年(1764)2月の造立。中央は南無阿弥陀仏為三界万霊とあるがこれも日本廻国六十六部供養塔で、寛永6年(1629)7月らしい紀年があった。しかしいささか古すぎることから嘉永6年(1853)の方が可能性が高いように思う。左も同じ供養塔で、こちらは文政元年(1818)12月の紀年である。
場所 足立区加平2丁目6-16
最近のコメント