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2022年8月31日 (水)

前澤家庚申塔(江戸川区平井)

平井にある安養寺の西に平井天祖香取神社がある。平井には平井白鬚神社、平井諏訪神社、平井天祖神社、平井浅間神社があり、白鬚神社はかつての逆井村の鎮守、浅間神社は富士塚、諏訪神社は旧下平井村の鎮守で、この平井天祖香取神社は旧中平井村の鎮守である。この辺りの神社は多くが室町時代に創建しているから、当時から人が住んでいたことになる。

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天祖神社の先を北に進むと200mほどの辻の民家の角に祠がある。中を覗いてみると庚申塔が祀られていた。この民家は前澤家のお宅らしく、明治時代の地図をみるとここに一軒の民家があり、少し北に行くと旧中川が流れていた。中平井村の比較的中央に位置するので、塞ノ神というわけではなさそうである。

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駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏が陽刻され、台石には三猿が彫られている。別途三猿と獅子の置物があるがこれはご愛敬。文字はほとんど消えており読み取れない。右下に「・・・二世安楽」というのは読めたが、造立年は分からない。堂宇は立派なもので、「庚申堂」と書かれた扁額も掛っている。

場所  江戸川区平井7丁目31-7

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2022年8月30日 (火)

安養寺境外墓地の石仏(江戸川区平井)

江戸川区平井6丁目と7丁目は旧中川と荒川放水路、そして蔵前橋通りに囲まれた地域で、昭和初期に荒川が開削されてからいささか閉ざされたような地形になったが、元々荒川が掘られた地域を含めて平井村の西の住民の多いエリアだった。現在は賑やかな新小岩駅などは一面田んぼの世界で、人々が住み始めたのは昭和に入って荒川放水路が完成してからである。

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安養寺の南200mほどのところにあるこの墓所は安養寺の境外墓地。シャッターの左から出入りできるが、墓所には沢山の石仏がありほとんどすべてが墓石だが、それらを見るだけでも価値があるほど古いものが多い。ガレージの奥、壁面の地蔵堂宇の脇にある如意輪観音像は元禄12年(1699)正月の紀年がある。庚申地蔵堂の前にある舟型の地蔵は享保4年(1719)5月。江戸中期のものが多い。

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入口脇の堂宇にあるのは大きな舟型光背型の地蔵菩薩立像。造立年は寛文7年(1667)8月とあり、右上には「奉地蔵菩薩開眼供養結衆」、左には「逆修菩提為庚申人数七人」と書かれている。したがって庚申講中による地蔵菩薩である。

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ガレージ奥の建物の堂宇には高さが2.2mもある丸彫の地蔵菩薩像がある。通常地蔵にはあまり文字が書かれていないことが多いが、この背の高い地蔵は前面の胸からお腹にかけて文字が沢山彫られている。「奉成立念佛講為結衆男女八十人 逆修菩提也」と読めた。そして紀年を見ると、寛文7年(1667)8月とある。これは前述の庚申地蔵と同じ時期である。二つの地蔵が造立され、一つは庚申講中が、もう一つは念仏講中が建てたということだろうか。

場所  江戸川区平井6丁目51-24

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2022年8月29日 (月)

東漸寺の石仏(墨田区立花)

立花白髭神社の別当寺である天台宗の東禅寺は文安4年(1444)の創建。寛永年間(1624~1644)に中興した。昔は北東の裏手に東昌寺という寺があったがその寺を合併したという。但し古い地図を見ても出てこないので、いつの時代かは分からない。

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山門を入るとすぐ左手に本堂があるが、正面にある古めかしくも立派な和風建築は大正時代に建築された庫裏(くり=僧侶の住まいや事務所になっている建物)が魅力的である。

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本堂と山門の間には六地蔵があり中央には阿弥陀如来像がある。地蔵は丸彫だが、阿弥陀如来は舟型光背型。ひとつの台石の上に載っており、おそらく同じ時期、元文元年(1736)に造立されたものと思われる。

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山門を右に曲がった所には宝暦13年(1763)11月造立の舟型光背型の庚申塔が立っている。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が陽刻されており、向かって左側面には「左 やくし道」とありその下に願主名が多数刻まれている。右側面には造立年月日と「右 市川道」という文字が読める。

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庚申塔の先には無縁仏塔があり、中央には大きな地蔵座像がある。安永9年(1780)5月の造立で、台石には「法華読誦塔」と書かれている。その左手前には小型の宝篋印塔があるが、代々の先祖供養のようで複数の年月が刻まれていた。無縁仏塔の左の植込みには前後2基の角柱型の石塔がある。これは板坂如春(朴斎)という江戸時代の有名な医者の供養塔で、当人は明暦元年(1655)に78才で亡くなっているのだが、この2基の石塔は延宝8年(1680)仲冬の紀年が刻まれている。板坂卜斎如春墓碑ということで墨田区の登録文化財になっている。

場所  墨田区立花6丁目17-4

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2022年8月28日 (日)

立花白髭神社の庚申塔(墨田区立花)

墨田区立花は旧中川の右岸で、昔は葛西川と呼ばれた地域。江戸時代は葛西川村で白髭社(白髭神社)は村の鎮守であった。創建は天和2年(1682)でその頃から民家が周辺に集まっていたようだ。当時庄屋であった鹿倉吉兵衛と関口一郎治が幕府に対して申請して中川のほとりに勧請したのが始まりとされる。

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本殿は大正12年(1923)の造営で100年が経つが、手前の拝殿は昭和46年(1971)に再建されたものらしい。本殿の左手に屋根付きのガレージ風になったところがあり、祠や庚申塔が祀られている。

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庚申塔は駒型で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。邪鬼と三猿は戦災で傷んだものだろうか摩滅が進んでいてかろうじて分る程度。右側に「庚申供養二世安楽攸」とあり、左には「講中十▢」とあるがその下は読めない。造立年は元禄4年(1691)2月と刻まれているが、中間の台石にも文字があり「(寛)延4年(1751)正月、念仏講中 25人」とある。おそらく庚申塔と台石は別物の組み合わせだろう。

場所  墨田区立花6丁目19-17

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2022年8月27日 (土)

北向地蔵尊の石仏(墨田区立花)

旧中川平井橋から北西へ150mほど進み、東漸寺や白髭神社に向かう路地に曲がった所に小さなお堂がある。北向地蔵尊と地元では呼ばれていて、文字通り地蔵堂は北向に立っている。

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四国八十八ヶ所霊場に因んでこの土地で作られた「新四国南葛八十八ヶ所霊場」の八十五番札所であったともいわれ、堂内には地蔵立像のほか塩地蔵も安置されている。またこの地蔵堂の場所は中川から引き上げられた多くの水死者が葬られた場所といわれている。

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堂内にはいくつもの石仏が祀られているが、中央右の一番大きいのが北向地蔵尊と呼ばれる主尊かと思われる。その左にある下半分が大きく溶解したのがおそらくは塩地蔵であろう。どちらも文字はまったく読み取れず、紀年等は不明である。塩地蔵はあちこちにあるが、概ね石が解けてこのようになっているものが多い。

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地蔵堂の右奥には角柱型の無縁塔と板碑型の供養塔がある。無縁塔は昭和9年(1934)6月のもので、小山家の施主名などが入っている。右の板碑型供養塔は中央に梵字らしき文字があり、「▢▢▢念佛」とあり願主名が7人銘刻まれている。下部には蓮の華葉が描かれ、造立年は承応3年(1654)2月と古いものである。

場所  墨田区立花6丁目10-1

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2022年8月26日 (金)

諏訪神社と観音道標(江戸川区平井)

平井駅から北西に行くと間もなく旧中川に至る。川岸には葦が生繁っており、その切れ目では地元の少年たちや家族が釣り糸を垂れていて、とても長閑な気持ちになれる風景を味わうことができる。かつて旧中川の平井橋のところには平井の渡しがあった。平井の渡しを越えると小村井村、押上村などを経て本所吾妻橋に行けた。

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平井橋の手前にある諏訪神社は、享保年間(1716~1733)に隣の燈明寺の僧侶が故郷信州の諏訪大社から分祀して創建したと伝えられる。燈明寺は大きな寺院で、現在の本堂他もまるで巨刹のようにそびえている。現在の諏訪神社の本殿は昭和44年(1969)の築造だが、天保15年(1844)築造の前の本殿が右手奥の稲荷神社として残っている。

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境内には高さは1.5mと低いが平井富士という富士塚がある。旧平井村の丸富講によって大正9年(1920)頃に築山されたという。神社の説明板で驚いたのは、稲荷神社になっている旧本殿だけではなく、当時の拝殿は松江の赤稲荷神社の社殿として移築されたということ。ひとつの神社の神様が住する本殿とそれに向けて拝むための拝殿が別々の稲荷神社として残されているのは驚きであった。

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本殿向かって左手の富士塚の傍には第二鳥居があるが、その脇の路地を進んで社務所の裏口のような場所まで進むと、そこに小さな堂宇があった。「下平井の観世音菩薩浅草道石造道標」と名付けられたこの石仏は、享保19年(1734)の造立で、主尊は聖観音、「秩父▢▢▢あさくさ道」「是より佐(左の意味)ぎゃうとく道」と記され道標の役割を果たしていた。元々の位置は神社向かいの保育園の門扉あたりだったらしく、燈明寺~諏訪神社を経てこの路地を通る道筋が、昔は平井の渡しへのルートだったというから、裏に追いやられたのではなく、昔の道筋に置かれたというのが正しいだろう。

場所  江戸川区平井6丁目17-36

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2022年8月25日 (木)

平井駅前の庚申堂(江戸川区平井)

JR総武線平井駅の近く、鉄道脇のマンション「ベルハイツ」の1階の一部が堂宇になっている。マンションの建物の一部が堂宇と言うのはとても珍しい。記憶を辿ってみるがこのように建物の一部が堂宇というのは思い浮かばない。

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上の写真の左側は総武線の高架である。この辺りは昔は下平井村であった地域で、平井駅は明治32年(1899)に掃部鉄道の駅として開業し、すぐに国有鉄道となった。当時の平井駅は今の駅の場所ではなく、この庚申堂よりもさらに先のゆりのき通りのガードあたりにホームがあったようだが、当時線路脇はすべて水田だったので、少なくとも時代の分かっている堂前の道標はここではなく、他の場所だったようだがその場所は耕地整理が進む中で分からなくなった。

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堂宇の左には自然石の歌碑のようなものがあるが文字がはっきりしない。右隅にあるのは江戸川区の登録文化財にもなっている「庚申堂の浅草道石造道標」。安永8年(1779)6月の造立で、正面には「左あさくさ道」、右面は読めないが資料によるとそこに紀年があり、左面には「行徳市川道、小松新宿道」と刻まれている。

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格子の間から堂内を覗いてみると、庚申塔が2基祀られていた。どちらも古いものではなさそうである。右の角柱型庚申塔は正面に「庚申塚」と刻まれている。他には何も文字が見当たらない。左の自然石の庚申塔には大きく「庚申」とあり、その文字に関して両側に「柴又帝釈天題経寺 第18世日翔書」とあることから、昭和40年代~昭和50年代のもののようだ。したがって、マンションの建て主が昭和になって建築した時に、信仰していた柴又帝釈天への帰依をした可能性も想像できる。

場所  江戸川区平井5丁目24-10

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2022年8月24日 (水)

松江ひかり幼稚園の石仏(江戸川区西一之江)

西一之江にある松江ひかり幼稚園は隣接する浄土宗法養寺による経営である。その為か幼稚園の前に敷地を少しだけ凹ませて2基の石仏が祀られている。ただ、ゼニゴケの状態や汚れの状態から園児たちに親しまれているというわけではなさそうである。

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寺院や教会が幼稚園を経営するケースは割と多い。私も60年近く昔、寺院附属の幼稚園に1年だけ通った。地域と寺院のつながりが深くなるのでいいことだと思う。園庭前の石仏は大日如来像と地蔵菩薩像である。

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左の舟型の石仏が大日如来坐像で、ゼニゴケや苔生した台石には「庚申講中」と書かれている。石仏本体が庚申塔かどうかは分からない。というのも大日如来の前面にも側面にも文字が見られないからである。一方、右の舟型光背型の地蔵菩薩は尊像脇に文字が刻まれている。しかし摩滅が進んでいて読み取れない。左側には▢▢石▢▢箇所、右側にも何か書かれているが不詳である。できればきれいにして園児たちに親しんでもらいたいものである。

場所  江戸川区西一之江3丁目33-1

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2022年8月23日 (火)

円福寺の石仏(江戸川区西一之江)

西一之江にある円福寺は真言宗の寺院で、大永2年(1522)の創建。江戸時代の天和3年(1683)に大杉にあった東福寺を合併したとされる。大永2年の創建以前から草庵はあったようで、その始まりは不明。

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山門の左側には六地蔵が祀られている。「みちびき地蔵」と名付けられ六地蔵の好サンプルになっている。六道というのは、仏教の輪廻思想で、天道、人間道、(阿)修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つをいう。六文銭を棺桶に入れる風習もここから来ているという。

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このみちびき地蔵の下には詳しい説明もあり、「人が死を迎えると、罪を償う地獄道、困った人を見捨てた罪としての餓鬼道、動物として生まれ変わる畜生道、常に戦いを強いられる修羅道、煩悩を抱える人間道、天人であるがための悩みを持つ天道、の6つのいずれかに生まれ変わるとされている。」とある。そのすべての世界にやってきて人を救うのが地蔵菩薩というのが仏教の考え方になっている。

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山門の右側には地蔵菩薩が3基並んで祀られている。中央の舟型光背型の地蔵菩薩像は元禄7年(1694)6月の造立で、法界▢▢とあるが文字が分からない。左右の丸彫の地蔵菩薩像はどちらも紀年は不詳。右の地蔵は足元が欠損したのか補修の跡が大きく、基壇もとろけたようになっている。

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本堂手前にある無縁仏塔の裏手に回り込むと多くの古い墓石の中に駒型の庚申塔が1基混じっている。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、青面金剛像は左手にショケラを下げている。造立年は明和2年(1765)11月と右側面に大きく彫られている。

場所  江戸川区西一之江3丁目28-13

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2022年8月22日 (月)

白山神社の観音堂(江戸川区松江)

江戸川区松江にある松江白山神社は、旧西一之江村の旧家矢作氏の祖先が加賀の白山神社の分霊を祀ったのが始まりと言われている。小さな神社で元は白山権現と呼んだ。昔は境内も広かったようだが、今はこじんまりとした神社である。

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社殿も小さいが昭和36年に鉄筋コンクリート造りで再建されたという。この周辺は昔から民家があった場所で、小さな集落の中心の神社だったのだろう。明治時代の地図には「原」という小字が見られる。城東電気軌道が開通してからも原の地名は続いていたようだが、明治30年の数字で22戸あったとある。大字としては「志茂の庭」があったようだが、その中に原、貞明、京塚、横町の集落があり、米、梨、葡萄などを栽培していたようだ。

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白山神社の脇にその頃から守られて来たであろう石仏が堂宇に祀られている。左は上部が欠損しているが観音像でおそらくは聖観音だろうと思う。手には石ではない蓮を持っていたのではないかと思われる造作。もしかしたら蓮だけは本物を取り換えていたとか想像してしまう。右の駒型庚申塔は文化5年(1808)7月の造立で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が陽刻され、青面金剛の左手にはショケラが下がっている。台石にはかつての小字を標した「原講中」という文字がある。ちなみにこの観音堂の再建は昭和58年で、矢作氏の子孫と思われる矢作勝儀氏の名前がある。

場所  江戸川区松江4丁目15-19

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2022年8月21日 (日)

泉福寺の庚申塔(江戸川区東小松川)

真言宗の泉福寺は鎌倉時代後期の創建とされる。徳治3年(1308)の板碑が保存されているということなので、1333年の鎌倉幕府滅亡の前の不景気な時代の創建である。永仁の徳政令(1297)の後で御家人の借金を棒引きにしないと国が収まらないような世情だっただろう。この時代の東京城東エリアは守護千葉氏の支配。別説では16世紀の開山という説もある。

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本堂は鉄筋コンクリート造りに再建されており、昭和45年(1970)築。その前の本堂は昭和20年3月の東京大空襲で焼失しているので25年間再建に掛かっている。戦災で焼失した寺院の再建は10年以上は普通に掛かっているが泉福寺は時間を要した方だと思われる。

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境内の一画にひっそりと舟型光背型の庚申塔が立っている。ゼニゴケがついていて、摩滅もかなり進んでいるが、日月、青面金剛像は確認できる。庚申塔研究者である石川博司氏の情報では邪鬼、二鶏、三猿もあるらしいが、今は確認することができない。文字がまったく判別できないので造立年も不詳である。

場所  江戸川区東小松川2丁目7-17

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2022年8月20日 (土)

源法寺の石仏(江戸川区東小松川)

浄土宗の源法寺は天正元年(1573)の開山と伝えられる。寛政9年(1797)の火災で堂宇や古文書を失った為、その後防火用に彫りをめぐらしたので掘まき寺と呼ばれた。戦前の地図にはきれいに寺の周りを堀が巻いているのが描かれている。西を流れていた境川と東を流れていた前堰川の間を繋ぐようにあった用水路を利用したようだ。船堀街道の東200mほどのところを曲がりくねりながら南北に通る道筋がかつての前堰川である。

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大きく立派な本堂が圧巻だが、この本堂は昭和38年(1963)の再建である。その前の本堂は昭和10年(1935)に再建されたが戦災で焼失している。本堂の右手には墓所が広がっている。

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墓所の入口に立派な堂宇に祀られた見事な舟型光背型の地蔵菩薩立像があった。光背に多くの文字が書かれているが、摩滅が進んでいて文字を読むことは叶わなかった。

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本堂前を左に山門近くまで戻ると享保8年(1723)4月の宝篋印塔を囲むように石仏が並んでいる。その中の左端にあったのが、この珍しい舟型光背型の庚申塔である。造立年は寛文3年(1663)10月で、青面金剛像が妙に小さい。その他は下部に三猿が陽刻されているだけだが、存在感のある庚申塔である。右には「奉造立石像人」とあり、上部には「現世無比楽 庚申仰信者 後生清浄土」とある。青面金剛と三猿の間には10名ほどの願主名が刻まれている。

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庚申塔の少し右にあったのがこの写真の雷神造。上もしたもどうも雷神のようである。文字はほとんど見られない。雷神像は知名度の割にはめったに見られない。上も下もユニークなプロポーションと雰囲気を持っている。裏側にも雷神が二体彫りこまれている珍しいものである。

場所 江戸川区東小松川2丁目16-19

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2022年8月19日 (金)

中之庭地蔵堂(江戸川区東小松川)

中之庭という地名は江戸川区東小松川では一部に知られた地名だが、住所としてよりも大正14年から戦後にかけてあった城東電気軌道江戸川線の中之庭駅があったためであろう。城東電気軌道江戸川線の路線跡は今井街道の南側に並行している道で、今井の手前まで辿ることができる。

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なかなか立派な地蔵堂であるが祀られているのは地蔵菩薩像1体。よく見ると舟型光背型の地蔵の左肩の上の方に「庚申供養」と書かれており、庚申講中によるものだろうと推測された。造立年などは分からない。地蔵堂は延命地蔵菩薩と謳っている。

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説明板に経緯があり、「天保9年(1838)に当地の太田家のご先祖様が霊夢を見て、現在の境川親水公園の川床を探したところ、この地蔵菩薩像が出現したという。台座の銘文によると、太田清右衛門、太田勝太郎、保土田弥左衛門、野間伝兵衛の4名を中心とした村人の講中によって手厚く信仰された。」とある。昭和55年まで百万遍講中の信仰が厚く、それ以前の昭和8年には雨ざらしだった地蔵をお堂を建之して迎えたという。

場所  江戸川区東小松川2丁目12-18

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2022年8月18日 (木)

赤稲荷神社の庚申塔(江戸川区松江)

江戸川区松江にある赤稲荷神社の創建は不詳。首都高速の用地買収で窮屈になってしまったが、昔はもっと広い境内だったという。赤い社殿から赤稲荷と呼ばれているが、各地に赤稲荷と呼ばれる稲荷神社は時々見かける。もともと稲荷神社のイメージカラーは赤だが、屋敷稲荷などになるとそうでないものが多い。

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赤稲荷神社の鳥居と社殿を見上げるとその向こうに首都高速小松川線の高架が圧迫するように覆っている。稲荷神社の境内が周辺に対して1m余り高いのは盛土されたのだろうか。

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フェンスに寄せるように立っている駒型の庚申塔は正徳3年(1713)9月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で野ざらしにしては保存状態は極めて良い。

場所  江戸川区松江1丁目1-7

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2022年8月17日 (水)

東善寺の石仏(江戸川区松江)

江戸川区松江にある東善寺は真言宗の寺院で創建は戦国時代の1500年代とされる。現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで昭和45年に建てられたもので、山門(門扉)などもモダンな造りになっている。この辺りは昔は東小松川村の中でも新道と呼ばれた場所で、千葉街道からまっすぐに江戸川の今井に新道(今井街道)が通っていた。

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ちなみに前述の今井街道沿いに1925年に鉄道が敷設された。東荒川駅~中之庭~松江駅~一之江駅~瑞江駅~今井駅という路線で、城東電気軌道という路線。しかしうまくいかず1942年には東京市電の一部に組み込まれ、鉄道はトロリーバスになり、1968年にはそれも廃止になった。

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境内に入ると本堂前から左に進んだところに、庚申塔が3基並んでいる。右の駒型の庚申塔は天明5年(1785)の造立で月は欠損していて読めない。日月、青面金剛像、邪鬼で三猿は見えないが、基壇には家内安全と大きく書かれている。右側面の紀年に対して左側面には道標らしき文字があるが「江八こう中」と読める。こう中は講中であろう。江八はわからない。中央の大きな駒型庚申塔は天保12年(1841)7月の造立で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿(台座)の図柄でショケラを下げている。左の駒型庚申塔は紀年が見られない。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、かなり摩滅が進んでいる。基壇の文字だが申申申と3つ並んでいるように読めて謎である。

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墓所入口にはこの舟型光背型のとろけ気味の地蔵菩薩像があった。光背部に文字が刻まれていたようだが、摩滅していてほとんど読み取れない。近くには享和2年(1802)2月造立の宝篋印塔もあったが、そちらはどうも一個人(一家)で建てたもののようで、江戸時代末期の豪農だったのだろうか。

場所  江戸川区松江1丁目4-4

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2022年8月16日 (火)

民家内の庚申塔(江戸川区東小松川)

首都高速7号線小松川ICの入口で、自動車以外は侵入できない入路の前に茶色いレンガ色のビルが2棟あり、その二つのビルの間に小さな箱庭のようなスペースがあって、そこには庚申塔が1基祀られている。

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首都高と30度ほどの角度で交差する道があり、耕地整理でできた道かと思ったら江戸時代からある道らしい。このすぐ東が「新道」と呼ばれた地域で、見事に千葉県境の今井橋まで直線で繋がっている。道筋は江戸時代から変わらない。小松川IC下の庚申塔のある民家敷地の入口は施錠されていて外から拝見するしかないが、私有地だから致し方ない。フェンスの上から覗かせていただいて撮影した。

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駒型の庚申塔で、台座青面には三猿が彫りこまれている。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄である。造立年は右側、つまり道路側の面に刻まれており、文政7年(1824)とあるが月の部分は欠損していて読み取れない。その下には願主名が続いているようだ。

場所  江戸川区東小松川2丁目9-5

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2022年8月15日 (月)

親水公園前庚申堂(江戸川区東小松川)

小松川境川親水公園を流れる水は再生水である。首都高速7号小松川線の小松川IC脇で水が出ており、南方向に流れている。境川と呼ばれた川があったのは昭和の高度経済成長期あたりまでで、それ以降は暗渠になった。東京の多くの川が暗渠にされたのは東京オリンピック直前で、臭いものに蓋をする政策によるものである。

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境川の左岸、東小松川村側に小さな堂宇があり、その中には庚申塔が祀られている。首都高速道路が出来る以前、ここには椎橋という橋があり、そのたもとにあったものだろう。昔の地図で西蓮寺だったところは現在は梅澤邸になっており、西蓮寺は東隣に移転しているが、これも珍しいケースである。

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堂宇は施錠されていないので拝顔させていただいた。駒型の庚申塔で、基壇に三猿が彫りこまれている。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で若干粗削りな感じがする。左側面に文政13年(1830)9月の造立年がある。石川博司氏の記録には文政3年とあったが、書き換えの様子はない。

場所  江戸川区東小松川2丁目9-23

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2022年8月14日 (日)

仲台院西方寺の石仏(江戸川区西小松川)

仲台院は小松川境川の西側にあるので西小松川村である。仲台院(ちゅうだいいん)の創建は天文8年(1539)。徳川八代将軍吉宗の時代から将軍の御膳所になった。吉宗は頻繁に紀州から呼び寄せた鳥の管理役の加納甚内が住むこの地に来て鷹狩りを楽しんだという。

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山門右側の西小松川保育園は仲台院の経営らしい。お寺には保育園や幼稚園を併設するところも多く、私も60年ほど昔、寺院経営の幼稚園にいたが、歌う歌が友人の行くキリスト教系の幼稚園とは違うのを不思議に思ったものである。その山門の手前に2基の庚申塔が並んでいる。

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右側が元禄12年(1699)11月造立の駒型庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄である。右肩に「奉造立庚申供養」と刻まれている。左側は駒型の庚申塔だが、日月と青面金剛像は認識できるものの、それ以外は溶けたようになっており判別がつかない。三猿に関しては基壇にそれらしき痕跡があるように見える。造立年は不詳。

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山門を入ると左に自然石の弁財天がある。大きなものだが、上部に大蛇の図柄がありどうも顔があるように見える。弁天様はいろいろな形があるがこのパターンは珍しいと思う。紀年等は分からない。

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弁財天の後ろには無縁仏がいくつも塀沿いに置かれているが、手前には2基の丸彫の地蔵菩薩像が建っている。ただ蜘蛛の巣が張っていて、保育園児も足を踏み入れてない様子。造立年等は全体を見てみても分らなかったが、左の小さい方の地蔵には「三界万霊」と書かれていた。

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無縁仏の多くは墓石なのだが、この舟型光背型の地蔵は違いそうである。造立年は享保18年(1733)6月とあるが、戒名などは一切記されていない。しかしどこにあったものでどういう謂れがあるのかなどは皆目わからない。

場所  江戸川区西小松川11-17

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2022年8月13日 (土)

永福寺の石仏(江戸川区東小松川)

小松川境川親水公園の緑道の東側に宝積院と永福寺が並んでいる。永福寺の入口は路地を入った奥にあり、なぜこういう入口なのだろうと不思議に思った。昔の地図をいくつか見てみたが境川の流れを挟んで江戸時代から沢山の人家があり、どのルートがメインという形ではなかったようで、この路地もちゃんとした重要な生活道路だったのだろう。

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門をくぐり、林の中の道を奥へ進んでいくと新しい立派な山門が建っていた。左右には阿形吽形の木像があり、相当立派なものである。まずはこの山門をくぐり本堂にお詣りする。

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本堂手前の墓所入口辺りには、善照寺と同じように大きな宝篋印塔と対の燈籠がある。善照寺も永福寺も同じ真言宗の寺院で、永福寺は1500年代中頃の開山とされる。宝篋印塔は宝暦14年(1764)2月の造立で、「武刕葛飾郡東小松川村」の銘がある。手前の対の燈籠は個人の供養塔らしくこれは善照寺と異なる。燈籠の造立年は天和元年(1681)12月である。

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山門に戻り林の道の北側に2基の石仏が建っている。左は不動明王像で、裏側に寛政4年(1792)9月の紀年がある。基壇には「万人講」とあり、側面には「南無興教大師」「四國三十四番土州種間寺写  永福寺」とある。種間寺は四国八十八ヶ所霊場の第4番札所。右の石仏は駒型の庚申塔である。造立年は安永8年(1779)6月とあり、右側面には「奉造立庚申」とある。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、青面金剛は左手にショケラを下げている。基壇には「入庭講中」とある。「入庭」というのは集落名で、東小松川村には大江川、上の庭、新道、中の庭、入の庭、渡し場、品清という集落があってその一つ。入の庭には今も水神講があり祭礼を行っているという。

場所  江戸川区東小松川2丁目1-15

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2022年8月12日 (金)

善照寺の石仏(江戸川区東小松川)

善照寺は真言宗の寺院、創建年代は不詳ながら、1500年頃とされ、江戸時代初期に中興している。慶安元年(1648)には幕府より御朱印状を拝領し、元禄時代に寛永元年に横綱となった明石志賀之介が引退相撲を境内で行ったことからそれ以降毎年草相撲が行われ、相撲寺と呼ばれるようになったという。江戸時代は大関が最高位で番付上横綱はなかったが、大名の後押しでプラスアルファの役付けとして存在したらしい。

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門の奥には立派な山門があり、いかにも大きな寺院だったことが分かる。小松川周辺は大正時代以前は荒川が掘削されていないので、中川以東は陸続きの平坦な農地だった。現在の小松川緑道の北西側が西小松川村、南東側が東小松川村で、善照寺は東小松川村にあった。すぐ西には善通寺という寺があったがこれは今の江戸川競艇場辺りになる。また小松川を挟んで来たには神明祠があり今は西小松川天祖神社となっている。

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本堂手前右側には大きな宝篋印塔が対の立派な燈籠を露払い太刀持ちのようにして立っている。宝篋印塔は享保12年(1727)10月で、手前の対なる燈籠は天明4年(1784)3月の造立。燈籠にはそれぞれ「奉為高祖九百五十遠忌報恩謝徳也」とあるので、弘法大師空海の遠忌塔として建てられたのだろう。

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山門近くに多くの無縁仏が集められている場所があり、様々な石仏があって面白いのだが、その中に複数の興味深い石仏があった。上の写真は頂部と脇が欠損しているが、地蔵菩薩像の左肩に「庚申待供養(結衆)」という文字が見える庚申地蔵である。左下に紀年があるようだが見えない。寛文12年(1672)8月とあるようだ。

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前述の庚申地蔵は上の写真於右下のものだが、そのすぐ後ろに頂部が欠損した青面金剛像が見える。現在は石仏の間が詰まっていて文字を読むことができないが、下の方に宝永8年(1711)2月の紀年があるという。主尊は青面金剛なのだが、三猿などは無いようである。その後ろの自然石による巡拝塔は「月山・湯殿山・羽黒山 奉造立…」とあり、裏側に回ると弘化2年(1845)11月の造立年が見られた。

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無縁仏塔の反対側(左側)には六地蔵と八観音がきれいに並んでいる。どれも同時代に造立されたもののように見受けられるが、六地蔵はすべて座像で、基壇のひとつに天明3年(1783)の造立年が刻まれている。後ろの左から4番目の観音は馬頭観音である。これだけ揃うと誠に壮観で、しばし見入ってしまった。

場所  江戸川区東小松川3丁目3-19

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2022年8月11日 (木)

アモール東和の庚申堂(足立区東和)

ローカルな商店街がどんどん寂れていく中で足立区東和にあるアモール東和もまた例に漏れない。JR常磐線亀有駅の北西にあり、数百mの長さの商店街だが営業している店もかなり少なくなっている。アモール東和の道筋は足立区だが、並行する南側の道は足立区と葛飾区の区境になっている。

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この区境の道はもとは古隅田川の川筋であった。その川筋がそのまま現在まで区境になっているわけで、当然ながら江戸時代は北が蒲原村、南が砂原村で村境であった。アモール東和と川筋の道との間は僅かなので、商店街は建物の表がアモール東和側で裏が川筋の道側となっている。

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二つの道の間は10mあるかないかで、そこには黒御影石の庚申堂の由来が立っていた。「先人が昭和30年(1955)に、①旧流山街道ぞ笈の東和2丁目8番地中央に、上部が欠損し半ば埋もれていた庚申塔があったのと、②東和1丁目9番地西角の路傍にあった庚申塔、この二つをここに移設し新たに堂宇を作り信仰してきた」とある。①は現在は大きなマンションになっている庚申堂の北側の区画、②は現在はまだ畑地になっているあたりだと思われる。

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①の庚申塔は左の上部が斜めに切れた方で、三面に一猿が陽刻されている。上部が欠損しているので紀年などの文字は殆ど分からず、ただ「道」の崩し字が見え、上部が道標になっていた可能性が高いと考えられている。②が右の駒型の庚申塔だが、こちらも造立年は不明。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が陽刻され、ショケラがぶら下がる。左側には「右 千住宿 左 飯塚渡 道」、右側には「此方成田道」とあるようだ(資料にて確認)。ここから数百m南には水戸街道が走っていたので、成田道は想像がつく。飯塚の渡しは昭和30年まで中川の渡しとして大谷田~南水元の間にあった。今は飯塚橋が架かっている。

場所  足立区東和2丁目3-7

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2022年8月10日 (水)

円性寺の石仏(足立区東和)

真言宗の円性寺は江戸時代初期の開山とされる。訪問時は境内の大掛かりな改修工事が行われていた。山門は飾り気のないもので、山門を入ると正面に本堂があるが、この本堂は昭和57年(1982)に再建されたもの。円性寺は「えんしょうじ」と読む。

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この辺りは東和という地名になる前は昭和中期まで蒲原(かばら)町といい、すぐ南が北三谷町であった。農村地帯で水路があちこちに張り巡らされた平坦な土地だったが、江戸時代の初期にこの寺に墓所のある河合平内なる人物らが開拓した。

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山門内すぐ左側には堂宇があり、願掛け地蔵の石碑が立っている。堂内には丸彫の地蔵菩薩像が祀られていた。造立年は享保12年(1727)9月とあり、「施主 源兵衛 女講中」と書かれている。地蔵講なのか念仏講なのかは分からない。

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山門入って右側には2基の角柱型の石塔が立っている。右側は真言宗の寺院には必ずと言っていいほどある弘法大師供養塔で、造立年は天保5年(1834)3月。正面には「南無遍照金剛」とあり、基壇前面に「惣且中」と書かれている。惣且中の意味は分からない。左の角柱は巡拝塔で、正面には「坂東西國秩父百番供養塔」とあり、造立年は文化2年(1805)9月。蒲原村や北三谷村の願主名が見られる。

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墓所の方に回り込むと、3基の庚申塔がまとめられていた。中心は大きな笠付角柱型の庚申塔で、擬宝珠もきれいに残っている。側面には蓮の華葉が陽刻され、正面には青面金剛像、その下に一猿、一鶏が彫りこまれている。この組み合わせは極めて珍しい。造立年は寛文6年(1666)10月で、「奉造立庚申供養二世安樂処」と書かれている。江戸時代の庚申信仰が広まり始めたころの初期のものである。

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左後ろにあるのは駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄である。造立年は宝暦9年(1759)9月で左側面に刻まれていた。

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右側にあるのは駒型だが文字が刻まれた庚申塔である。「奉▢立庚申橋供養二世安樂」とあり「施主 同行 拾五人敬白」と書かれている。円性寺の北側の環七南通りはもともと用水路だったところに造られた道で、橋はあちこちにあったと思われ、橋の供養塔も兼ねているのだろう。下部に凸凹が見られるが、じっと見ていると三猿が描かれていたのではないかと見えてくる。ただかなり剥離と摩滅が進んでいるので確かではない。

場所  足立区東和1丁目29-22

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2022年8月 9日 (火)

高木神社の庚申塔(葛飾区西亀有)

西亀有の高木神社は、国府台の合戦に敗れた里見氏の家臣武内家がこの地に住み、氏神第六天を祀ったのが始まりとされる。国府台(こうのだい)合戦というのは2回あり、第一次が天文7年(1538)に足利氏対北条氏で北条氏の勝ち。第二次が永禄6年(1564)に里見氏対北条氏で北条氏の勝ち、という戦国時代の合戦である。北条氏は鎌倉幕府の北條ではなく、小田原北条氏で、秀吉に滅ぼされるまで関東の最有力大名だった。

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高木神社は江戸時代には第六天社として砂原村の鎮守となっていたが、明治維新の神仏分離で高木神社となった。庚申塔は境内にあるのではなく、境内の入口の鳥居前は写真のような三角の森になっており、そのとば口に祀られている。

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駒型の庚申塔だが、剥離や摩滅が進んでおり文字を読み取ることはなかなか難しい。上部にかすかに日月が残り、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、青面金剛像の足元で中折れして補修してある。造立年は享保3年(1718)11月とあるが、右の文字は欠損していて読めない。葛飾区の資料によると「奉造立庚申供養二世安樂処」と書かれていたようだ。

場所  葛飾区西亀有4丁目15地先

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2022年8月 8日 (月)

善養寺の石仏(葛飾区西亀有)

浄土宗南照山善養寺は目立たない寺院。江北橋通りに面しているが大きな山門はない。しかし門前の江北橋通りはかつての水戸街道である。この辺りの古い地名は砂原といい、水戸街道に面して民家が集まっていた。元禄時代から続いた砂原町の地名は昭和40年に西亀有の一部に改められた。

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砂原は昔、東京低地が陸化する際に後退した海岸線付近に出来た砂州がもとになっているらしいが、この地の海抜は+0.4m、それでも周辺はマイナスだから少し高いと言えそうだ。門扉を挨拶をしながらくぐらせていただき境内に入る。

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境内に入ってすぐに目に入ってくるのがこの3基の石仏。中央の大型の舟型光背型の石仏は阿弥陀如来像で、寛文3年(1663)正月の造立。右側には「為師聖父母菩提修是」とあり、左には「三回有縁無縁平等利益」とある。右の駒型の庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、造立年は享保3年(1718)10月。「奉造立供養庚申 武刕西葛西領砂原村講中」の銘がある。左にある小さな舟型の石仏は如意輪観音像で、右に「一心供養」とあり、左には明和元年(1764)1月の紀年がある。

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その先にあるのは舟型光背型の六地蔵菩薩。造立年は一部のものを参考にすると元禄10年(1697)と思われる。刻銘は右から「輪廻生死焼罪苦」、二番目は紀年に加えて「奉供養六道地蔵二世安樂所」、「実相成就風颯之」、「法▢無作遊阿土」、「奉造立六地蔵 十方旦那二世安樂処」と刻まれている。やはり6基セットで組まれたものであろう。

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六地蔵の右後ろ、ヤツデの影にあったのが舟型光背型の庚申地蔵である。造立年は寛文12年(1672)8月。右側に「法寄進庚申供養」とあるので庚申地蔵と判定した。上部や側部が若干欠損しているがきれいに保たれている。

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もう一基目立っていたのがこの丸彫の地蔵菩薩像。造立年は元禄11年(1698)7月である。蓮台に「奉造立念佛供養 為仏果増進也」とある。どうやら女念仏講中によるものらしい。おそらく江戸時代に入って100年ほど経った頃、ここは水戸街道沿いで多くの旅人が通っていたことだろう。そんな想像ができる境内の石仏であった。

場所  葛飾区西亀有3丁目43-5

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2022年8月 7日 (日)

下河原公園の庚申塔(足立区東綾瀬)

下河原公園は地元では鬼の城とか鬼公園と呼ばれている。というのも鬼ヶ島をモチーフにした大きな遊べるモニュメントがあるからだが、この公園の南側を走る緩やかなカーブの道が足立区と葛飾区の区境になっている。江戸時代は下河原公園の辺りは北三谷村、綾瀬駅周辺から南は普賢寺村だが、この緩やかなカーブの南は上千葉村という別の村だった。この道は実はかつての古隅田川の流路なのである。

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庚申塔群があるのは南側ではなく北東の角。ちなみに古隅田川の南側の上千葉村には旧水戸街道が青戸に向かって通っていた。青戸で中川にぶつかって道のまま東には行くことが出来なかったのである。そういう場所ということもあって、庚申塔の脇には道標が立っていた。

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正面には「水戸街道」とあり、左面には「大正四年(1915)東渕江村青年会」と刻まれているので、元は水戸街道沿いにあった可能性が高い。右面には「本村大谷田渡船場ヲ経テ二合半方面 至 ▢里余」「綾瀬村経テ千住町至ル▢三十丁」と記されている。二合半という地名はこの辺りの石仏石塔に時々出てくる。今の三郷あたりのことで、関東郡代の伊奈氏が徳川家康にこの土地を一生(一升)支配(四配)することを命じられたことから、一升の1/4の二合半(二郷半)という地名になったと言われる。なかなか粋な地名である。

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庚申塔は右端から、角柱型の文字塔で「奉供養庚申塔」と大きく書かれており、造立年は安永6年(1777)正月とある。下部に「講中」の文字があり、「左 江戸道  右 六阿ミ陀道」という道標の役割もある。その左にあるのは真新しい板碑型の庚申塔。左側面を覗くと平成8年(1996)9月の造立年が見える。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれ、ショケラもぶら下げている。

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隣りの駒型の庚申塔は文久2年(1862)12月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、左側面には「庚申講中」と大きく書かれている。その左の像形像容不明の石仏だが、推測するに平成の庚申塔を立てる前の古い庚申塔なのではないだろうか。戦災で見る影もなくなってしまい、平成まで活動を続けてこられた庚申講中によって再建されたのではないかと思っている。それほど古い事ではないので、文献を探していけば経緯が分かるかもしれない。

場所  足立区東綾瀬1丁目11番地先

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2022年8月 6日 (土)

宿の庚申塔(足立区東綾瀬)

綾瀬駅から北東へ道なりに進むと江北橋通りを越えた先に堂宇がある。明治大正時代までは東渕江村宿添という地名だった辺りだが、元は宿(しゅく)という土地だったようだ。堂宇の脇に御影石の道標があるが、殆ど文字は読めない。説明板には詳しく書かれている。右面には「水戸街道を経て向島方面」、正面には「二合半及び松戸町 二里」「綾瀬村を経て千住方面 二十丁」、左面には「大正四年東渕江青年会」とあるようだ。

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宿という地名の由来については、「旧二合半流山道より南にやや離れて蛇行した川(現在暗渠)は南を葛飾区と境をなす古隅田川。治承4年(1180)10月、下総より武蔵を経て鎌倉入りする源頼朝が古隅田川の沿岸の隅田宿に宿陣、このことから宿と呼ばれた。

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堂宇の中には駒型の庚申塔が祀られている。造立年は元禄13年(1700)8月。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄である。「奉造立庚申供養石像一体二世安樂所」と書かれている。ちなみに宿はその昔普賢寺村という村に属しており江戸時代の切絵図にはくねっている古隅田川の流路の巾着のような地形の中が普賢寺村になっている。この庚申塔は普賢寺村の北の端、北三谷村との村境にあったものではないだろうか。

場所  足立区東綾瀬1丁目19-19

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2022年8月 5日 (金)

円泉寺の石仏(足立区加平)

足立区加平にある円泉寺は浄土宗の寺院。正保3年(1646)の開山。この辺りは当時嘉兵衛新田と呼ばれ、名主伊藤嘉兵衛と同じころ開拓に加わった吉田家が中心になって建てられたようだ。

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円泉寺には多くの石仏が保存されている。山門を入り左側にずらりと並んでいるのは壮観である。地蔵あり、庚申塔あり、供養塔あり、宝篋印塔ありと多彩だがどれもなかなかのものであった。

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一番奥にあったのは舟型光背型の六地蔵。きれいにそろっている。基壇には造立年の明和4年(1767)11月という記述に始まり、「邑中 庚講中 」と書かれており、庚申講中による六地蔵の可能性もある。

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六地蔵の手前には5基の庚申塔が一つの台に載せられていた。それぞれ大きさと像形が異なっていて面白い。自然石庚申塔1基、駒型庚申塔3基、舟型庚申塔1基が並ぶ。

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まず右端は自然石型の庚申塔で、正面には「庚申塚」の文字がある。造立年を探してみたがどこにもない。左の斜め側面には「當村大工八五郎 小合村大工茂八」の銘がある。小合村というのは馴染みのない地名だが、享保14年(1729)に古利根川の流路の付け替えが行われた当時今の水元辺りにあった村らしい。隣りの駒型庚申塔は寛政9年(1797)正月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で左手にはショケラを下げている。

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中央の舟型光背型の庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれたものだが、造立年が見当たらなかった。寺の説明板によると、施主名に弾誉上人吉田三右エ門の名があり、その人物は円泉寺の第12代住職で享保18年(1733)9月に没しているので、その当時のものと記されている。青面金剛の足下の辺りに文字が見えるが現在は読み取れる状態ではない。

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左の小さな2基の庚申塔は、右が青面金剛の駒型、左が文字の駒型である。右の青面金剛の像は、日月、青面金剛、邪鬼、三猿の図柄。側面に紀年が見えるが文政12年(1828)のようだ。しかしその下が読み取れない。左端の文字庚申塔は正面に「青面金剛」と刻まれ、こちらの造立年は文政11年(1761)12月とあるがこれもかろうじて読める程度。なぜか足立区の資料には宝暦11年と載っている。

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山門近くにあるのがこの剛健な宝篋印塔。こちらは文化6年(1809)7月の造立で、施主名が吉田増右衛門とある。やはり円泉寺は吉田家の銘が多いようである。

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もっとも山門側にあるのが3基の巡拝塔。右から櫛型の大乗妙典日本廻国六十六部供養塔で明和元年(1764)2月の造立。中央は南無阿弥陀仏為三界万霊とあるがこれも日本廻国六十六部供養塔で、寛永6年(1629)7月らしい紀年があった。しかしいささか古すぎることから嘉永6年(1853)の方が可能性が高いように思う。左も同じ供養塔で、こちらは文政元年(1818)12月の紀年である。

場所 足立区加平2丁目6-16

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2022年8月 4日 (木)

龍慶寺の石仏(足立区綾瀬)

水天宮を門前に持つ曹洞宗の渕江山龍慶寺は、正保3年(1646)の創建。開基は牛込五郎兵衛というが、この土地の西側がかつて五兵衛町と呼ばれていたのとは関係はなさそうである。山門は曹洞宗らしく質素な造りであった。

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右の屋根が別述した水神宮である。山門の手前にはいくつかの石塔があり、そのうちのひとつが自然石の敷石供養塔と思われるもので、何となく興味をそそった。

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正面には「奉納大乗妙典六十六部 天下泰平  日月清月」とある。ところが左面に回ると「中庭敷石建立 願主 金蔵」と刻まれている。右面には紀年があり、安永7年(1778)中春七日とあるが、中春は仲春のことで旧暦の2月。大乗妙典は法華経だから曹洞宗の寺院にあるのはちょっと違和感がある。

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山門を入り本堂に進むと手前に一対の大きな石仏がある。なかなか手の込んだ立派な石仏で、右が聖観音像、左が地蔵菩薩のそれぞれ座像である。足立区の登録有形文化財になっているとのことで、造立年は天保5年(1834)である。千住二丁目で幸手屋という旅籠をやっていた神谷万右衛門が千住四丁目の石工助七に彫らせて奉納したという。見事なものである。

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墓所入口に萬国戦死病歿者諸英霊追善供養塔なるものが建っているが、その基壇に1基の駒型庚申塔が載っていた。よく見てみると、造立年は明和2年(1765)で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、左手にはショケラがある。この庚申塔は綾瀬4丁目20-19から消えたもので、ここに移設されていたのを訪問時に初めて知った。

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無縁仏の集められている中に板碑型のいささか荒っぽい石塔があった。「念佚供養塔」とあるが念仏供養塔の誤字だろう。造立年は貞享5年(1688)10月とある。江戸時代は識字率が意外に高かったようだが、石仏石塔を見ていると誤字が随分と多いのもまた面白い。

場所  足立区綾瀬7丁目10-18

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2022年8月 3日 (水)

水神宮の庚申(足立区綾瀬)

JR常磐線綾瀬駅から北へ1.3㎞程の綾瀬7丁目、南北に伸びた綾瀬1丁目~7丁目で最も北にあるのが7丁目。そこにある龍慶寺の横に付随するように水神様がある。かつてこの辺りは五兵衛町と言った。それ以前は五兵衛新田である。

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ここに水神様が出来た経緯は分からない。もともと龍慶寺に付随する民間信仰の対象だったのだろう。伊勢信仰あるいは産土神として信仰されてきた。昔の若者の力比べを伝える力石もある。

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左側には駒型の庚申塔がある。造立年は宝暦6年(1756)11月で、日月、青面金剛像、三猿のシンプルな造り。「庚申講中」という文字が右下に刻まれている。その後ろには自然石を使った道標で、「成田山道 従是十六里 講中」と彫りこまれている。

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右側にはゼニゴケで白くなった手水鉢がある。側面の文字を読んでみると、正面には「奉納」と大きく書かれ、側面には「庚申子中」とあり願主名が10人銘見られる。反対側を見ると造立年は文政元年(1818)12月とある。仲右ヱ門、藤四郎の施主名も刻まれていた。

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鳥居を見上げると、鳥居に掛かった扁額の裏に文字が刻まれている。「奉献 吉田氏」「万延元年庚申歳 九月」1860年である。果たして庚申講中によるものかどうかはこれだけではわからない。しかし寺院の門前にこれだけ様々な民間信仰を想起させるものが残っているのは素晴らしいことである。

場所  足立区綾瀬7丁目10-8

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2022年8月 2日 (火)

下谷中稲荷神社の石仏(足立区谷中)

東京メトロ千代田線には不思議な路線がある。綾瀬~北綾瀬間の支線で、元々北綾瀬駅のさらに先には千代田線の車両基地があるためで、通常は一駅間だけを往復しているがたまに10両編成も停まるのでホームは長い。この広い車両基地は元々なんだろうと思ったが、戦後しばらくはこの辺りは一面の田んぼだったから前は農地である。

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北綾瀬駅の西側にしょうぶ沼公園という広い緑地があり、その南100mほどのところに下谷中稲荷神社がある。創建年代は不詳ながら、江戸時代に開拓されたこの辺りの長左衛門新田の鎮守であったらしい。すぐ北隣(現在の環七以北)は久右衛門新田、その先は辰沼新田、西は嘉兵衛新田、南西には五兵衛新田など江戸時代に開拓された地名があった。長左衛門新田は村の戸数が少なかったため祭りの御輿などは五兵衛新田に参加をしたりしていたという話である。

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稲荷神社の最初の鳥居脇には2基の巡拝塔と2基の庚申塔がある。右端の小さな角柱型の巡拝塔は安政2年(1855)12月のもの。日月の下に「月山・湯殿山・羽黒山、西國・坂東・秩父百番とある。右から二番目は大きな舟型光背型の庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が陽刻され、青面金剛はショケラを下げている。造立年は元禄6年(1693)重陽(9月)とあり、「奉供養庚申講」の文字と14人の願主名が刻まれている。

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その隣は小さな駒型の庚申塔。造立年は宝暦11年(1761)10月。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、上部に「庚申」とあり、下部には講中十七人とある。一番左にあるのは大きめの巡拝塔。造立年は安永8年(1779)正月とあり、こちらも月山・湯殿山・羽黒山、西國・坂東・秩父百番の文字がある。

場所  足立区谷中1丁目12-8

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2022年8月 1日 (月)

正王寺の庚申塔(葛飾区堀切)

真言宗の正王寺は堀切菖蒲園駅の北東250mほどのところにある。創建は治承2年(1178)で鎌倉時代が始まる前という古刹。山門が赤く塗られており、地元では赤門寺という通称もある。

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後鳥羽院や源頼朝の時代に八王子社(現在の堀切氷川神社)の別当として創建され、その後慶安年間、三代将軍家光公が鷹狩で境内を通り、八王子の宮(氷川神社)に詣で、征夷大将軍の始祖たる源氏の勧請と聞き5石の荘園を与えたと伝えられる。当時は武州葛飾郡下千葉村。

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山門をくぐり左に回ると太子堂がありその先に駒型の庚申塔がある。造立年は享保6年(1721)11月。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、右側に「造立庚申供養」とある。

場所  葛飾区堀切5丁目29-14

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