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2022年8月11日 (木)

アモール東和の庚申堂(足立区東和)

ローカルな商店街がどんどん寂れていく中で足立区東和にあるアモール東和もまた例に漏れない。JR常磐線亀有駅の北西にあり、数百mの長さの商店街だが営業している店もかなり少なくなっている。アモール東和の道筋は足立区だが、並行する南側の道は足立区と葛飾区の区境になっている。

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この区境の道はもとは古隅田川の川筋であった。その川筋がそのまま現在まで区境になっているわけで、当然ながら江戸時代は北が蒲原村、南が砂原村で村境であった。アモール東和と川筋の道との間は僅かなので、商店街は建物の表がアモール東和側で裏が川筋の道側となっている。

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二つの道の間は10mあるかないかで、そこには黒御影石の庚申堂の由来が立っていた。「先人が昭和30年(1955)に、①旧流山街道ぞ笈の東和2丁目8番地中央に、上部が欠損し半ば埋もれていた庚申塔があったのと、②東和1丁目9番地西角の路傍にあった庚申塔、この二つをここに移設し新たに堂宇を作り信仰してきた」とある。①は現在は大きなマンションになっている庚申堂の北側の区画、②は現在はまだ畑地になっているあたりだと思われる。

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①の庚申塔は左の上部が斜めに切れた方で、三面に一猿が陽刻されている。上部が欠損しているので紀年などの文字は殆ど分からず、ただ「道」の崩し字が見え、上部が道標になっていた可能性が高いと考えられている。②が右の駒型の庚申塔だが、こちらも造立年は不明。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が陽刻され、ショケラがぶら下がる。左側には「右 千住宿 左 飯塚渡 道」、右側には「此方成田道」とあるようだ(資料にて確認)。ここから数百m南には水戸街道が走っていたので、成田道は想像がつく。飯塚の渡しは昭和30年まで中川の渡しとして大谷田~南水元の間にあった。今は飯塚橋が架かっている。

場所  足立区東和2丁目3-7

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