下河原公園の庚申塔(足立区東綾瀬)
下河原公園は地元では鬼の城とか鬼公園と呼ばれている。というのも鬼ヶ島をモチーフにした大きな遊べるモニュメントがあるからだが、この公園の南側を走る緩やかなカーブの道が足立区と葛飾区の区境になっている。江戸時代は下河原公園の辺りは北三谷村、綾瀬駅周辺から南は普賢寺村だが、この緩やかなカーブの南は上千葉村という別の村だった。この道は実はかつての古隅田川の流路なのである。
庚申塔群があるのは南側ではなく北東の角。ちなみに古隅田川の南側の上千葉村には旧水戸街道が青戸に向かって通っていた。青戸で中川にぶつかって道のまま東には行くことが出来なかったのである。そういう場所ということもあって、庚申塔の脇には道標が立っていた。
正面には「水戸街道」とあり、左面には「大正四年(1915)東渕江村青年会」と刻まれているので、元は水戸街道沿いにあった可能性が高い。右面には「本村大谷田渡船場ヲ経テ二合半方面 至 ▢里余」「綾瀬村経テ千住町至ル▢三十丁」と記されている。二合半という地名はこの辺りの石仏石塔に時々出てくる。今の三郷あたりのことで、関東郡代の伊奈氏が徳川家康にこの土地を一生(一升)支配(四配)することを命じられたことから、一升の1/4の二合半(二郷半)という地名になったと言われる。なかなか粋な地名である。
庚申塔は右端から、角柱型の文字塔で「奉供養庚申塔」と大きく書かれており、造立年は安永6年(1777)正月とある。下部に「講中」の文字があり、「左 江戸道 右 六阿ミ陀道」という道標の役割もある。その左にあるのは真新しい板碑型の庚申塔。左側面を覗くと平成8年(1996)9月の造立年が見える。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれ、ショケラもぶら下げている。
隣りの駒型の庚申塔は文久2年(1862)12月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、左側面には「庚申講中」と大きく書かれている。その左の像形像容不明の石仏だが、推測するに平成の庚申塔を立てる前の古い庚申塔なのではないだろうか。戦災で見る影もなくなってしまい、平成まで活動を続けてこられた庚申講中によって再建されたのではないかと思っている。それほど古い事ではないので、文献を探していけば経緯が分かるかもしれない。
場所 足立区東綾瀬1丁目11番地先
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