古代東海道の地蔵堂(葛飾区四つ木)
四つ木の水戸街道(国道6号線)脇に四つ木めだかの小道というビオトープがある。ここから斜めに東に向かう道はとても古い道で、かつての古代東海道である。古代東海道は浅草から北上して隅田川を渡り、鐘ヶ淵から西に向かって真っすぐ伸びていた。その東海道がこの細い道で、立石の旧中川までほぼ直線である。
水戸街道から入ってすぐに木造の堂宇がある。近くにある西光寺は平安時代~鎌倉時代の葛西氏居館跡とされている。葛西と言うのはこの辺りの古代からの地名で、下総国葛飾郡があり、その西側部分が葛西である。葛西氏は頼朝が房総に逃亡し兵を集めて鎌倉に攻め入った折から鎌倉幕府の御家人となった豪族。
堂宇の中には丸彫の地蔵菩薩が一基祀られている。台石を含めて高さは1.5mほどだろうか。子育地蔵尊と呼ばれている。造立年は享保16年(1731)10月で、台石には「念仏供養 講中敬白 四ツ木村」と記されている。この辺りは四つ木の中でも古くから交通の要衝で人口の張り付いていた地域である。
堂宇の脇のアオキに埋もれて櫛型角柱型の庚申塔が隠れている。もう文字はほとんど読めない状態になっているが、台石には三猿が彫られているもののほぼ土中に埋もれている。造立年は延宝4年(1676)9月ととても古いもので、地蔵菩薩よりも150年も前のものである。正面には「奉造立庚申供養二世安樂」と書かれているらしい。
場所 葛飾区四つ木2丁目3-13
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