木下川薬師浄光寺の石仏(葛飾区東四つ木)
木下川薬師(きねがわやくし)で有名な浄光寺は天台宗の古刹。創建はなんと嘉祥2年(849)と伝えられる。平安時代初期、藤原氏が皇室を取り込み始め台頭してきた時代である。嘉祥2年に草庵を編んだのは僧広智という人、その弟子が貞観2年(860)に浄光寺として一寺とした。当時全国的に疱瘡が大流行し、とてつもない死者が出たというが、貞観と言えば個人的には1000年に一度と言われる東日本大震災の前回の貞観地震(貞観11年=869年)を想起する。疫病と大震災のダブルパンチだったのだろう。ともかく日本史ではなく地球史レベルの古さである。
浄光寺は大正時代の荒川掘削により、川床に沈んでしまうため今の場所に移転してきた。江戸時代には徳川将軍家の御膳所となり、大きく発展した。山門には左右に阿像吽像の金剛力士像が配置され栄華を物語る。幕末には勝海舟も度々訪れたという。
山門をくぐり右手に回り込むと、そこには大きな2基の庚申塔と馬頭観音が立っていた。左の大きい方の駒型庚申塔は元禄14年(1701)9月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、「奉供養庚申爲二世安樂也」と刻まれている。右の庚申塔も同じ偈文で「奉供養庚申爲二世安樂也」とあるが造立年は宝永4年(1707)9月と6年程新しい。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の下に大きく二鶏が描かれている。右端の角柱は明治38年(1905)12月の馬頭観音。正面に「馬頭観世音」そして「大澤氏」の銘がある。
墓所入口付近にも魅力的な石仏が並んでいる。左端は丸彫の地蔵菩薩像で、正徳元年(1711)10月の造立。首のところが折れた痕跡があるが補修してある。台石に戒名があるが、「上野南大門町 津国屋善兵衛」の銘がある。右隣りは比丘尼像の座像。両手首が欠損している。造立年は元禄14年(1701)9月、千日回向仏とある。
比丘尼像の隣は珍しい聖観音菩薩像の座像。造立年は享保20年(1735)2月。台石正面には「奉造立供養観音講中二世安樂也」とあり、左には「四国秩父坂東順礼同行講中」とある。右は安永8年(1779)8月造立の比丘尼立像で、正面には全夢童子の戒名と安永3年5月の日付がある。上総屋先祖家内祈祷とあるので、江戸時代のお金持ちによる造立だろうか。
その右にあるのは舟型光背型の阿弥陀如来像。円頭光があり、螺髪もきれいに造形されている。造立年は元禄4年(1691)6月とある。右の丸彫の立像は比丘尼像。右手が欠損している。古いもので造立年は寛文10年(1670)7月とある。この地域には比丘尼像が多いように思う。比丘尼というと八百比丘尼の人魚の肉を食べたという伝説が思い出されるが、これらの比丘尼は単なる女性の僧の石像である。
場所 葛飾区東四つ木1丁目5-9
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