« 満願地蔵尊(葛飾区堀切) | トップページ | 慈眼院の地蔵(葛飾区四つ木) »

2022年9月20日 (火)

極楽寺の石仏(葛飾区堀切)

真言宗の極楽寺は堀切菖蒲園の東約200mほどの場所にある。創建は宝徳4年(1449)とされ、南葛八十八ヶ所霊場を含めた複数の霊場の札所となっている。ただ訪問時はいささか荒れている感じはあったが、本堂には住職らしき方もおられた。

Cimg6930

織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を滅ぼした永禄3年(1560)8月に大洪水があり、周辺もろとも流失してしまった。それでも再興して現在に至っている古刹である。山門は閉じていたが、右手の重い鉄扉が通用口になっているようで、そこから入って本堂で挨拶をする。

Cimg6931

山門をくぐる前に門前の塩地蔵が堂宇に祀られているのを拝む。中央は舟型の地蔵菩薩像だろうと思われるが、極楽寺はこの塩地蔵が疣取り地蔵として昔から有名で祈願した人も多いという。左は像形がある程度残っていて聖観音像っぽい。中央は舟型は残っているが像形はやや薄れている。右に至っては像全体が解けてしまって小さくなっている。手前には塩の山が積もっていた。どれも造立年等は全く分からない。

Cimg6937

山門の内側には手前から、庚申碑、庚申塔、首塚と並んでいる。左の庚申碑は角柱型で享保10年(1725)11月の紀年が入っている。正面には「奉供養庚申講結衆二世安樂 結衆 九人 祈所」と刻まれている。中央の駒型の庚申塔は享保6年(1721)2月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、二童子、三猿の図柄。堀切村と願主名がある。側面には「奉造立供養庚申講結集二世安樂祈処」と書かれている。右の首塚は正面に大きく「首塚」とあり、これは付近から発見された多数の頭蓋骨を埋葬し、供養の碑を建てたものと言われている。首塚の碑の造立年は昭和2年(1927)8月である。

Cimg6945

その先には舟型光背型の庚申塔と同じく舟型の阿弥陀像が並んでいる。左の庚申塔は天和3年(1683)3月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で尊像はショケラを下げているようだ。刻銘としては「供養庚申一結講衆 現当二世安楽処」とあり、台石には堀切村同行三十一人とある。右の阿弥陀如来像はもう少し古いもので寛文7年(1667)8月の造立。「念仏講結衆本願本田惣衛門同行卅五人法主」と刻まれている。

Cimg6947

その後ろにあるのは珍しい石仏で、地蔵六面幢の上に丸彫の地蔵菩薩が組み合わせてある。造立年は宝暦13年(1763)8月で、地蔵講中の銘がある。六面幢は5面が地蔵菩薩の浮彫で、正面の部分には「地蔵講供養 武州西葛西領堀切村」の銘が刻まれている。境内はいささか荒れた雰囲気だが、見るべきものが多く、本堂前にある石材の脇には「女人橋関係石材一括」の説明板が立っており、説明板によると、橋の袂には竹を四方に囲み幣束を垂らしたものが設けられ、出産で亡くなった妊婦の供養のために沢山の人々が水を掛けて成仏供養したという。江戸時代は出産で亡くなる人が多かったことを再認識する文化財である。なお、この橋は現在の堀切2丁目21-21と堀切1丁目15-6の間に架かっていたようだ。ちょうど銭湯日の出湯の前辺りで、昔は村道の辻で葛西陽水西井堀の支流が流れていた。

場所  葛飾区堀切2丁目25-21

| |

« 満願地蔵尊(葛飾区堀切) | トップページ | 慈眼院の地蔵(葛飾区四つ木) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 満願地蔵尊(葛飾区堀切) | トップページ | 慈眼院の地蔵(葛飾区四つ木) »