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2022年9月 6日 (火)

八広庚申堂(墨田区八広)

京成押上線が荒川を越える手前の駅が八広駅。現在の住居表示は八広(やひろ)だが、昭和中期以前は吾嬬(あづま)町で、明治時代の地図では大木村とあるが木下村の誤字か。荒川が掘削される以前は現在の荒川の流れの中にあった木下川(きねがわ)薬師はすぐ近くにあった(現在は荒川の東側に移転)。

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ただ、庚申堂の辺りは木下村と上大畑村の村境になっていたのではないかと思われるが、江戸時代の地図では木之下村、大畑村と書かれている。説明板によると江戸時代は大畑村だったとある。そしてこの庚申堂は当時から村持の庚申堂とされており、当時から土地の人々が庚申堂を守ってきたことがうかがいしれる。

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庚申堂の入口脇に櫛型角柱型の馬頭観音がある。右側面に「天下泰平」左側面に「村内安全」とあり、裏面に紀年らしきものが書かれているのだが摩滅していて読めない。おそらくは明治時代か江戸末期のものではないだろうか。庚申堂の右には大師堂があり中には弘法大師の座像が祀られている。これはこの場所が、南葛八十八ヶ所の第54番札所だったからである。

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庚申堂内には左に舟型光背型の地蔵菩薩。造立年は享保5年(1720)9月で、尊像右に「地蔵尊講中 上大畑村」とある。中央は駒型の庚申塔で、造立年は元禄2年(1689)正月。「奉造立青面金剛庚申供養現當安樂所」とあり、紀年下には「大畠村(大畑の誤字か)」と記されている。陰刻の日月、青面金剛像、そして台石に三猿という組み合わせで、11名の願主名が刻まれている。上松姓、幸山姓が見られるが、面白いのは大正15年に作られた上大畑庚申神社としての縁日創立記念の額にはその姓は見られない。人の出入りはあれども村として守ってきたのだろう。

場所  墨田区八広5丁目32

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