渋江白鬚神社の道標(葛飾区東四つ木)
京成押上線四ツ木駅の東500mほどのところに渋江白鬚神社がある。四つ木村も白鬚神社だが、渋江村も白鬚神社で、旧渋江村の鎮守である。江戸時代は「葛西の大権現」と呼ばれ、吉原、深川、千住の遊郭水商売筋からの信仰が厚かったという。創建は不詳ながら室町時代という説もある。
本殿前の燈籠は文政6年(1823)6月の建立で、江戸の水商売筋の寄進である。境内には7基の道標があり、いずれも文政5年(1822)3月に建てられたもの。なぜこの年にこれほど沢山の道標が建てられたのかは分からないが、文政から天保あたりの年間が神社が最も賑わったと伝えられる。
いくつかは神社付近の旧道に立っていたものを道路拡張時の昭和41年(1966)に春日秀郎氏が神社に移設したものだという。施主名は日本橋北さや町岡本屋長右衛門と裏河岸粋清次郎ととある。日本橋北鞘町は現在の日本橋本石町1丁目あたり。日銀が鎮座するあたりの江戸時代の町名である。最近常盤橋が復元されつつある江戸の痕跡のメッカで、日銀は江戸時代は金座だった場所。まさに三越の前身である越後谷などが建ち並んでいた一画のお金持ちが建てたものであろう。
場所 葛飾区東四つ木4丁目36-18
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