善福院の石仏(葛飾区四つ木)
真言宗の善福院は南葛八十八ヶ所霊場43番札所、永正16年(1519)に創建し、当時は東照宮若王寺としていたが徳川家康にはばかり善福院と改号した。豊臣秀頼が「国家安康」と鐘に記して因縁をつけられたのとどっちが早いか分からないが、名前ひとつで滅ぼされる時代だったのだろう。この辺りから荒川の流れにかけては昔は若宮という土地で、現在の荒川の中にあった善福院は荒川掘削により現在地に大正元年(1912)に移転したが、間もなく関東大震災で本堂大破。再建すると昭和9年に火災にあり、3年後再建、ところが戦後すぐに大洪水で破損したのち、今の本堂が出来たのは昭和44年(1969)である。
山門と本堂手前は車が止められていて写真が撮れなかったが、本堂脇にはまずこの舟型光背型の地蔵菩薩像があった。かなり摩滅が進んでいるので紀年や銘文は分からないが、区の資料では江戸時代としている。
その先は墓所になるのだが、墓所入口に三界万霊塔がありその主尊として納骨堂の裏側の中央に大きな舟型の阿弥陀如来像が立っている。読み取れないので葛飾区の資料を参照すると、造立年は寛文9年(1669)11月、「奉造立念仏庚申両供養二世成▢▢▢ 結衆25人」とあるらしい。庚申塔としても信仰されていたのだろう。
右手前には駒型の庚申塔も混じっていた。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、造立年は寛保3年(1743)10月。「女人庚申講中」の銘がある。寺院でいささか疑問だったのはなぜ山門から本堂へのアプローチがこんなに窮屈なのかということと、道路に対して斜めに建っているのかという点であった。前の道路はかつての用水路の筋であり、おそらくは東向きに立てる目的でこの角度になったのだろうか。
場所 葛飾区四つ木3丁目4-29
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