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2022年9月 8日 (木)

萬福寺の石仏(墨田区東墨田)

真言宗の萬福寺は荒川の土手の傍にある。もともとは現在の荒川の流れの中にあり、おおよそ荒川右岸の少年野球場の前の荒川の流れの辺りにあった。大正時代の荒川掘削により移転を余儀なくされ、北の上木下川村にあった浄光寺は川の東側へ移転したのに対して、南の下木下川村は川の西側に移転した。

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萬福寺の創建は大永7年(1527)と古く、江戸時代には南葛八十八ヶ所の第69番札所、新葛西三十三ヶ所霊場の第9番になっている。本尊は拝顔していないが、行基作の木造の阿弥陀像らしい。この場所に落ち着いたのは大正元年(1912)である。

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参道の中程に多数の石仏が並んでいる。南葛八十八ヶ所札所と新葛西三十三ヶ所の大師像などが屋根の下にあり、手前には右に4基、左に3基の質の高い石仏が並んでいる。一番右の白っぽい角柱は南葛八十八ヶ所の道標で、その隣の角柱は新葛西三十三ヶ所の道標。新葛西の道標には、當村女人講中とある。

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左から二番目の舟型光背型の像は阿弥陀如来像。尊像右に刻まれているのは「當寺本草阿弥陀如来行基菩薩▢▢」という文字で、これはこの石仏が行基作の本尊の身代りであることを意味しているらしい。造立年は元禄3年(1690)9月である。左の板碑型の庚申塔も立派な造りで、陰刻の日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれている。日月だけは後で取ってつけたような抽象的な文様。「奉供養庚待男女▢▢菩提」とあり、天和2年(1682)9月とかなり古いものである。

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左側の一団は右から光背舟型の立派な如意輪観音像で、寛文12年(1672)初冬の造立。「念佛講供養同行三十一人」とあり、紀年の下には木下川村の銘がある。中央の舟型光背型の地蔵菩薩は寛文2年(1662)8月の造立で、右脇に「奉供養阿弥陀寶子二世安樂處」とあり周辺には願主名が隙間を埋めるように彫りこまれている。左の舟型光背型の地蔵菩薩も寛文2年(1662)8月の同時期の建立で、同じ偈文がある。

場所  墨田区東墨田3丁目12-19

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