西光寺の石仏(葛飾区四つ木)
四つ木にある西光寺は源頼朝が石橋山の戦いから逃走して安房に渡り、上総広常や千葉常胤を従えて鎌倉に進軍する際にこの軍勢に加わってから、鎌倉幕府の御家人となり、北條の時代まで仕えた家臣である葛西三郎清重の居館跡である。墓所には清重の墓地もあり、古代東海道に近いことからも四つ木のこの辺りが江戸時代以前の中心地だったことがわかる。
天台宗の西光寺はその葛西清重による創建とされている。嘉禄元年(1225)が創建年で、親鸞上人が葛西清重の居館に逗留、その親鸞に帰依してのことと伝えられる。しかし浄土真宗を開いた親鸞と天台宗とは?との疑問については、後の戦乱や水害によって無住の寺となっていたのを、寛永年間(1624~1643)に天台宗の旅僧が逗留し再興したことによるようだ。
境内には素晴らしいバランスの舟型光背型の阿弥陀如来像がある。光背部分には「奉造立庚申供養結衆現當安樂諸願成就」とあることから庚申講中によるものである。造立年は寛文13年(1673)弐月と記されている。もともと浄土真宗だったことから阿弥陀如来が主役なのだろうか。別にそばには新しい阿弥陀像があった。
墓所はきれいな舗装が施されており、とてもきれいであったが、その手前にこの無縁塚があり、その主尊である舟型光背型の如意輪観音像もまた見事な石像である。造立年は延宝6年(1678)2月で、光背部分には「奉造立如意輪観音為逆修菩提也」とあり、女性願主の名前が沢山刻まれていた。
場所 葛飾区四つ木1丁目25-8
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