小松川神社の石仏(江戸川区小松川)
江戸川区小松川は昔、西小松川村という旧中川左岸の村で、逆井の渡しは江戸から旧中川まで来た道が左岸に渡ってから北西に千葉街道として伸びていた。渡しのすぐ東には小松川神社がある。大正時代に入って荒川の開削が始まると西小松川村と分離し、小松川町となった。元の氏神は荒川の向こうの堂ヶ島の香取神社と下之庭の天祖神社だったが、荒川に阻まれたため、それぞれの分霊を小松川の西光寺境内の稲荷神社に奉安して祀った。
昭和に入り、昭和11年(1936)に神殿を建立し、東篠崎の水神社を合祀したが、平成になって市街地再開発により現在地に移転した。周辺は近代の変遷がとてもダイナミックな地域である。神社の北側の道はかつて鉄道がとおっていた筋で、城東電気軌道が荒川の右岸の西荒川まで走っていた。
神社の北東隅には沢山の石仏が並べられている。左から、板碑型の「大日願主…」とある供養塔、駒型の地蔵、舟型地蔵、舟型六地蔵の左3基、庚申塔2基、舟型六地蔵の右3基、舟型のとろけ地蔵、櫛型供養塔3基、角柱型1基と並ぶ。庚申塔以外は造立年等読み取れないものが多い。
2基の庚申塔の左側は駒型の庚申塔で、宝永4年(1707)正月の造立。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、「庚申供養」「江戸通油町 朝田庄次郎」と刻まれている。右の大きい方の駒型庚申塔は、延享元年(1744)9月の造立で、日月、青面金剛像、二童子、四夜叉、邪鬼、三猿と豪華なもの。左側面には「為御供料銭五貫文永代附置之也」「施主 當町中 法印俊▢」、右側面には「庚申供養施主八丁堀和泉屋 ▢右衛門 新町中稲荷山西光寺」とあるが、そうするとこれは西光寺にあったものを連れてきた可能性もありそうだ。
場所 江戸川区小松川3丁目1-2
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コメント
伊 謄さん
コメントありがとうございます。ご指摘感謝いたします。1741年は寛保元年ですね。実は石仏協会のハンドブックの年号を見て西暦を加えているのですが、私の場合は時々間違えます(^-^;。TATSUさんからは時々アドバイスをいただくのですが、TATSUさんが間違えられるのは珍しいですね。ちなみに参考にした『江戸川区の文化財』には1744年となっており、ご指摘いただかなければ気づきませんでした。ありがとうございます。
投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2023年8月12日 (土) 21時43分
こんにちは。
延享元年ですが1744年になりますね。なおTATSUさんの「東京都の庚申塔」の方にもコメントしておきました。
投稿: 伊 謄 | 2023年8月12日 (土) 11時05分