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2022年10月 1日 (土)

立石子育地蔵尊(葛飾区東立石)

中川の湾曲した右岸にある東立石4丁目はもともと川端村という土地であった。川が曲がれば道も曲がる。西の正覚寺から来た道が、川の曲がりに合わせて北に折れ曲がるところにあったのが宮田家だった。この宮田家に江戸時代からいくつかの石仏があったという。

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左の木の生い茂ったお宅が宮田家でその西側には家に並んで宮田家の墓所がある。小堂を覗いてみるともぬけの殻であった。傍に張り紙があり、8月29日にお地蔵様は移転したとのこと。移転先はポケット公園とあるが、近くに公園は見当たらない。20mほど東に進むと公園というよりも民家1軒分の土地にコンクリートタイルを敷き詰めて広場にしてあり、そこに新しい堂宇があった。

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堂宇の左側の格子戸の中には大師像が祀られていた。旧堂宇の脇に折れてしまった石碑があり、そこに書かれていたのは、かつては四国順礼、秩父順礼、坂東順礼に加えて山形の三山などへの巡礼も流行し人々は散財したため、近くに南葛八十八ヶ所を作り身近に巡礼供養が出来るようにしたとある。

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堂宇の右側のうち小さい駒型の像は馬頭観音菩薩。時代は不詳だが江戸時代に遡るようだ。右側の大きい方は舟型光背型の地蔵菩薩像で、宝永7年(1710)7月の造立。「奉供養地蔵 同行十二人」と光背に書かれている。以前は「横手の子育地蔵」と呼ばれたようで、江戸時代には宮田家の墓所の堂宇にこの地蔵と大師像があったと伝えられる。

場所 葛飾区東立石4丁目12-13(元の堂宇は4-10-7)

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