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2022年9月18日 (日)

正福寺の石仏(葛飾区東新小岩)

真言宗の寺院である正福寺は相当な古刹である。創建は行基(668~749)で最初は新小岩の照明寺の場所と伝えられる。その後、正福寺は正安3年(1301)に今の東新小岩に移転し、元あった場所には今も続いている照明寺が末寺から残ったという。もっとも行基伝説は数多くて信憑性は極めて低いし、何しろ1300年前とか700年前という話であるから、まともに信じない方がいいかもしれない。

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境内はとても広く、山門から本堂の間に多くの石仏が並んでいる。江戸時代には徳川将軍の鷹狩の際の御膳所にもなっており、門末80ヶ寺を持っていたようだ。当然ながら南葛八十八ヶ所の霊場でもあり第23番になっている。山門をくぐり、本堂にお参りをして右の庫裏方向を見ると、植込みに大きな石仏がある。

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傍に立つ説明板には「千手観音」と書かれているがどう見ても笠付角柱型の庚申塔である。「この千手観音は、今から二百年前、地元有志十名により道祖神として交通安全祈願の為、旧橋戸橋(現東新小岩6丁目24)の袂へ建立されたが、現在の道路事情により正福寺境内地に移築されたものである。」とあるが、千手観音→庚申塔と訳し、道祖神として交通安全祈願の為→塞ノ神として村境に悪いものが入るのを断つようにと訳すとよい。造立年は文化9年(1812)で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄でショケラを下げている。平成半ばここに来る前は東新小岩6丁目25-12にあったが、その前は数十m東の前述の場所に在ったようだ。

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庚申塔の右隣りには見事な舟型光背型の阿弥陀如来像が立っている。実はこれも庚申塔。尊像の右上に「奉造立庚申講供養二世安樂之攸」とある。造立年は寛文6年(1666)9月で、「結衆二十四人」とも刻まれている。

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山門前にはふたつの無縁仏塚があり、山門側の無縁仏の左に立つこの舟型光背型の地蔵菩薩像も素晴らしいもの。台石には蓮花が描かれ、万治元年(1658)10月の造立年がある。尊像右側には「武州葛飾郡上小松村同行廿▢人」とあり、前述の阿弥陀如来と共に江戸時代初期の興味深い石仏である。

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無縁仏塚の頂上に立つ丸彫の地蔵菩薩像も名作である。造立年は元文5年(1740)で月名があるところには「竜集」とある。調べてみると年号の下につける「年」という意味らしい。「下小松村願主 荒月氏彦左衛門、宇兵衛」の銘がある。台石には銘文が刻まれており、地獄の苦しみから人々を救う地蔵の御利益が記されている。

場所  葛飾区東新小岩4丁目8-4

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