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2022年9月 5日 (月)

六ツ目地蔵尊(江東区亀戸)

亀戸浅間神社の境内にある六ツ目地蔵尊。六ツ目の名前は旧中川に繋がる竪川に架けられた橋に由来する。現在は首都高速の下にある暗渠となった流れで、江戸の重要な水運路となっていた。一之橋、二之橋・・・六之橋という通称で呼ばれた内、六つ目の橋が最も東にあり、この場所だった。江戸の地形は山の手は坂で呼び、下町は橋で呼ぶというのが重要なポイントで、それが如実に残っている土地である。

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堂宇の中には8基の石仏が並んでいる。かつてはここを佐倉道(後の千葉街道)が通り、江戸と下総を結ぶ交通の要衝であった。成田山や鹿島神宮、香取神社へ参詣する旅人で賑わっていたという。第二次世界大戦の時にこの辺りは焼け野原となったが浅間神社周辺はかろうじて戦火を免れた。街のあちこちにあった辻の石仏は戦後、浅間神社に置き去りにされたものもあり、その他もここに集められたという。

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右端にあるのが駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、二鶏、三猿の図柄。造立年は元禄10年(1697)8月である。側面に「奉造立為庚申講二世安樂也」とある。隣りの櫛型角柱型の石塔は法華経供養塔という説明書きがあった。元禄14年(1701)の造立で台石には「老人中」とある。左のおそらくは地蔵座像と思われるものは、説明書きによると「供養塔(破損仏)伝馬頭観音」とある。全く馬頭観音とは思えない。紀年は不詳。

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その並びには舟型光背型の地蔵菩薩が3基並んでいる。右の地蔵菩薩だけが造立年が記されており、天明2年(1782)4月とあった。紀年の下には「講中」と書かれている。中央の地蔵は文字が見当たらない。左の地蔵については、「奉供養地蔵大薩菩」とあり菩薩が上下入れ替わっている。左側には「泰平国家安全」とあるが何の供養なのかは分からない。

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左端の2基は観音である。背の高い方が舟型の聖観音菩薩像で、安永年(1779)12月の造立。右側には「観音講中」とあり、台石には當村中と刻まれている。一番左端は上部が欠損しているがおそらく舟型であろう。主尊は如意輪観音像で、文字はほとんど読み取れない。台石には願主名と思しき痕跡があるがかなり摩滅していて不詳である。

場所  江東区亀戸9丁目15-7

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