西円寺は京成立石駅の東約300mほどの場所に在る真言宗の寺院。諏訪神社の別当寺であった。創建年は永禄10年(1567)で覚元法師によるものと伝えられる。永禄10年という年代は織田信長が尾張の領主で、斎藤龍興の稲葉山城を落とし美濃を領地に加えた頃である。

境内は広く、本堂の裏手に墓所が広がっている。西円寺は南葛八十八ヶ所霊場の第40番札所で、墓所の入口に大師像を祀った小祠がある。古い板碑も複数所有したらしいが、今は明応3年(1494)と大永7年(1527)のものが保有されているという(拝観はできていない)。

山門を入ってすぐ右手に2基の石仏を祀った堂宇がある。右の舟型光背型の如意輪観音像は宝暦8年(1758)西入法師と寛延2年(1749)寂円法師の命日が刻まれた墓石のようだが、なかなか見事な彫りでおそらくは宝暦8年の西入法師の没後建立されたものだろう。左の舟型光背型の地蔵菩薩立像は寛文5年(1665)8月の造立。庚申結衆の文字があるので庚申講中によるものである。

本堂の前に在ったのは舟型光背型の聖観音立像である。造立年は元禄8年(1695)8月と書かれている。右側のゼニゴケの部分にも何か刻まれているが読み取れなかった。おそらく元々は墓石だろう。

墓所の入口で目立ったのはこの笠付の地蔵六面幢である。正面には「先祖代々一切精霊」とあり、右面には安政5年(1858)9月の命日、左面には明治5年(1872)の命日が刻まれているので、明治になってからの造立である。施主として、立石村清田弥左衛門の銘がある。

六面幢の傍らには天明8年(1788)9月造立の舟型光背型の地蔵菩薩像がある。剥離が進んでいて正面の文字は読み取れない。右側面に造立年と願主浄心という銘が刻まれている。

すぐ近くには屋根付きで9基の石仏が並んでおり、右から舟型光背型の聖観音像。造立年は寛政6年(1794)11月で、「原村 観音講中 男女弐拾四人」と書かれている。中央の小さな舟型如意輪観音像は享保12年(1727)4月建立の墓石、左の大きな舟型如意輪観音像も墓石のようであるが、紀年は読み取れない。

中央の3基は右が菩薩だろうか、命日が複数あるが紀年は分からない。中央の聖観音像(舟型)も、左の舟型の地蔵菩薩像も3基ともどうやら墓石のようである。

左の3基のうち、右側の白っぽいのは駒型の馬頭観世音。造立年は文政12年(1829)とあるが、かなり剥離が進んでいるので今後が心配である。その隣の如意輪観音像は板碑型っぽい形の特殊形態。これは墓石のようだが、寛文9年(1669)12月の紀年が入っている。左の端は比較的新しい石碑のようだが、文字が読みにくくなっている。
場所 葛飾区立石8丁目5-18
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