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2022年10月 4日 (火)

本奥戸橋西詰地蔵堂(葛飾区立石)

江戸時代奥戸の渡しがあった場所に近代になって架けられた本奥戸橋。その西詰の郵便局のある敷地に地蔵堂がある。資料によると当初は橋際の堤防内にあわもち屋という家があり、その前に在ったとのこと。それが昭和初期に本奥戸橋架設時に奥戸街道の南側に移された。今は奥戸街道の北側にあるが、これは昭和後期に橋の架け替えを行った際に工事の都合で通りの北側の今の場所に移転した。

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現在の住居表示では東立石から立石に変わった訳である。堂宇内には右側に地蔵菩薩、左側に馬頭観音が祀られており、かなりの規模で支援され守られている様子が見える。地蔵菩薩は舟型光背型で、造立年は貞享2年(1685)8月。土地では子育地蔵と呼ばれている。「念佛講結衆」とあり同行四十六人とあるのでかなり大きな講中であったのだろう。

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左の自然石の馬頭観世音はなかなかいい石を使っている。造立は安政2年(1855)と説明板に記されていた。大正時代までは馬が物流の根幹をなしていたわけで、人と同じくらい大切にされていた。造立年は安政の大地震のあった年である。

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堂宇の前にあるのは道標を兼ねた巡拝塔である。角柱型でこれも元々は奥戸街道の南側に在ったものをこちらに移している。正面には「右 江戸みち 左 おくとミち まかりかね道」とあり、その下に「渡しは道」とあるが意味は分からない。右面には「羽黒山大権現、湯殿山大権現、月山大権現 奉供養大日講中」と刻まれている。他の面には願主名がびっしりと書き込まれ、裏には宝暦5年(1755)霜月の造立年があるほか、「男女百四十▢▢」とあるのでこれも大きな講中である。

場所  葛飾区立石8丁目7-10

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