足立区神明の南蔵院は、現在は埼玉県川口市の安行村にあった慈林寺宝厳院の隠居寺として元和5年(1619)に開かれたと言われる。宝厳院は行基が天平13年(741)に聖武天皇の命で創建したという古刹。江戸時代初期のこの地域はまだ開墾もされていない地域だっただろう。江戸時代の地名は久左衛門新田といい、この辺りから川口市にかけては人名+新田という地名が多い。

山門に至るまでも数十mの参道があり、道路の入口には4基の石碑が立っている。左のひときわ大きな角柱型の石塔は「新四国八十八ヶ所第六番 南蔵院」とあり、西新井組中川通四箇領八十八ヶ所という巡礼地の6番目を表す石碑。江戸時代天保年間に四ヶ領(葛飾郡東葛西領、葛飾郡二郷半領、足立郡淵江領、埼玉郡八条領)の弘法大師像を巡礼する霊場を定めたもの。この石碑は天保12年(1941)のものである。
中央の2基は馬頭観音である。左の大きい方は正面に「馬頭観世音」とあり、裏に明治39年(1906)8月の造立年がある。右の駒型の馬頭観音は正面に「馬頭観世音」という文字が見えるだけで、側面は読み取れなかった。右の角柱は荒綾八十八ヶ所霊場の道標で「久左衛門新田、是ヨリ浮塚大仙寺へ六丁」とあり、大正10年(1921)に建てられたものである。
山門前には自然石の丸石の庚申塔がある。まるで力石のような形で力石よりも大きい。庚申の文字の左側に薄く憲斉書とあるが何のことかは分からない。紀年等もなく不思議な庚申塔である。
本堂の手前には六地蔵に混じってとろけ地蔵や舟型光背型の大きな地蔵が祀られている。この辺りでは庚申信仰が盛んだったようで、中央の大きな舟型地蔵と六地蔵の向かって右の2躰は庚申講中によるものである。
左のとろけ地蔵については何も分からない。塩地蔵だったのか、川の中から発見されたのか、雨風にさらされたのか、いろいろな想像をしてみる。右の舟型地蔵は庚申地蔵である。造立年は寛延元年(1748)10月。右側には「庚申▢中▢五人」とあり、左側には「念仏講中十七人」とある。
六地蔵の2躰については背中に大きく文字が彫りこまれている。端の地蔵の背中には「奉供養庚申待 二世安樂攸」とあり正徳3年(1713)7月の紀年がある。隣りの地蔵の背中にも「奉供養庚申待 二世安樂攸」とあり、同じく正徳3年(1713)7月の造立年が刻まれている。おそらく六地蔵も庚申講中と念仏講中による共同制作なのだろう。
本堂から墓所への入口には3基の石仏が並んでいる。左端は笠付角柱型の庚申塔。造立年は寛文7年(1667)9月と古いものである。中央には「奉造立庚申供養二世安穏成就攸 施主 敬白」と刻まれている。中央の舟型地蔵菩薩は墓石のようである。紀年は読み取れなかった。右の舟型地蔵菩薩は偉いお坊さんの百回忌に造立されたものらしく、造立年は享保13年(1728)2月とあるが、おそらくこれは命日であって、左側の消えている部分に100年後の文政11年の紀年が刻まれていたのではないだろうか。
場所 足立区神明3丁目18-18
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