宝積院の石仏(足立区西保木間)
足立区保木間は国道4号線より東側、西保木間は西側になる。西保木間の北の端には毛長川が埼玉県との県境として流れており、その先は草加市谷塚になる。むかしの日光街道はこの4号線よりも少し西側の西保木間と竹の塚の境を北上していた。
竹の塚で日光街道から東に分かれて千葉県方向に向かうのが流山道と呼ばれた古道。この流山道にある宝積院と氷川神社はその昔戦国時代の武将千葉氏の陣屋だったと伝えられる。この道沿いには昔から人が住み、西新井大師と成田山の間を往来する参詣者で賑わったという。宝積院は保木間氷川神社と並んでおり、氷川神社ともに慶長年間(1596~1615)に創建されたという。
本堂の先右手に舟型光背型の六地蔵がある。造立年は読み取れなかったが江戸時代のものと思われる。実は六地蔵の左のクロマツの脇に板碑型の庚申塔が立てかけてある。
図柄は板碑型に三猿のみ。文字が読み取れない。足立区の資料によると、中央には「奉待庚申供養成就所 敬白」とあり、その脇に延宝7年(1679)10月の造立年が刻まれている。下部には願主名が8名記されているようだ。資料は昭和60年頃の情報で、その時代も同じように立てかけてあったようなので、何かの事情があるのだろう。
場所 足立区西保木間1丁目11-4
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