大光寺の庚申塔(足立区六木)
足立区六木(むつぎ)は埼玉県八潮市や葛飾区との境に位置するエリア。中川の右岸にあり、江戸時代は六木村、明治になってからは花畑村六木だった地域である。中川はのどかな川で河岸に足が生い茂り、鷺などの野鳥も多い。中川の昔の名前は利根川である。もともと利根川の川筋はこちらがオリジナルで、今の利根川筋は江戸時代から長い年月をかけて掘削されたものである。
中川の右岸、かつての奈川の流路と昭和の初めに出来た新しい流路の出合地点にあるのが真言宗の大光寺である。慶長元年(1596)に六木村を開発した織田信長の旧臣天野国忠が土着して戦没者供養のため開基となったという由緒。六木村の村名の由来も6騎の武者を示す六騎で、それが六木となったといい、天野国忠の話と繋がるようだ。
本堂脇の千体仏の堂宇の一画に写真のとろけ地蔵があった。影からして舟型光背型の地蔵菩薩像だろうと思われる。中川で拾い上げられたものなのか、あるいは塩地蔵として溶けてしまったものなのかは分からない。
その向かい側に在ったのが駒型の庚申塔。沢山の仏花で見えないが、日月、青面金剛像、邪鬼の図柄で、三猿は見当たらない。造立年は元禄12年(1699)11月と古いものであった。右側面には「奉造立庚申講中」と大きく刻まれている。
場所 足立区六木3丁目10-13
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