法蓮寺の石仏(江戸川区北葛西)
江戸川区北葛西にある法蓮寺は浄土宗の寺院。創建は寛永3年(1621)で、当時宇喜田新田の開拓者宇田川氏が亡父追悼の為にその隠居屋敷に一寺を建てたことに始まる。その亡父宇田川喜平定氏は天文3年(1533)に品川で生まれ、22歳の時に小松川村に移り、慶長元年(1555)に葛西浦の芦原三千石の地を開拓して宇喜新田(宇田川喜平の新田の意)と名付け、幕府にも認められ、入道して法蓮の号となった。
その宇喜新田が後に宇喜田新田となり、宇喜田村となったが、江戸時代後期には東宇喜田村、西宇喜田村、その間が長島村という形になった。ここは西宇喜田村で、明治時代には葛西村の大字西宇喜田になっている。山門と本堂の間に広い堂宇があり、複数の石仏が祀られている。左端は駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、尊像は左手にショケラを下げている。造立年は正徳5年(1715)11月で、「法供養庚申為二世安楽」と記されている。
左から二番目は舟型光背型の地蔵菩薩で光背輪がはっきりしている。造立年は元禄15年(1702)とあり、「奉供養講中」と書かれている。右から二番目手前は首が新しいが如意輪観音のようである。台石には「南無阿弥陀仏」とあるが紀年等は不詳。その後ろの地蔵は新しいもので、右端の丸彫の聖観音像は宝暦11年(1761)2月の造立で、台石に「講中二拾人」とある。
住職にお聞きして墓所の庚申塔も拝見した。左がその庚申塔で珍しい阿弥陀如来の舟型光背型の庚申塔である。造立年は延宝5年(1677)2月とある。右側の大きい方の舟型光背型の阿弥陀如来像は右側が欠損している。そこに造立年があったようだが、左側にある9月しかわからない。上部には「二世安楽也」とあるが、庚申塔か供養塔かなどは不明である。
場所 江戸川区北葛西4丁目5-18
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