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2022年11月 6日 (日)

延命寺の石仏(足立区竹の塚)

真言宗寺院の延命寺は説明板によると、延慶2年(1309)の創建となっている。鎌倉幕府が衰退し始めた時代。鎌倉時代も大地震が多く、関東では1213年、1227年、1230年、1240年、1241年、1257年、1293年と大地震が鎌倉を襲っている。一方近畿地方では1299年、1317年、1325年、1331年と立て続けに大地震が起こったと記録されている。1293年の鎌倉の地震では、鎌倉の寺院が多数焼失した。おそらくは1200年代は駿河トラフの活動、その後は南海トラフ(東南海トラフ)の活動時期に入ったと思われるが、地震は権力の盛衰に大きな影響を及ぼした。

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そんな時代に創建された延命寺には見事な山門がある。如意門という形式の山門で、昭和51年(1976)に佐渡より移築された。建築は宝暦4年(1754)に高山の名工梶原某の創建とされている。像形や細部も秀逸でしばし見入ってしまった。

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その山門の下に大きな燈籠が立っている。実は境内にも同じものが(おそらく対のもの)ある。竿燈には「奉献 石燈籠 両座、武州東叡山、大猷院殿 尊前」とあり、慶安5年(1652)4月の建立年がある。寄進したのは松平備前守源隆綱とあるが、当時の大名は徳川将軍から名前を戴いているので皆同じような名前になっている。この石燈籠は三代家光が全国の大名に造らせたもののひとつで、一旦寛永寺に寄進されたのち、各地の寺院に払い下げられたものらしい。境内にある方は二代秀忠の時代のものらしく、寛永9年(1632)の建立で、溝口出雲守源宣直という大名によるものである。

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境内には笠付角柱型の庚申塔がある。時代は比較的新しく、天保12年(1841)2月とある。青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、側面には2月求法日とあるが、求法(ぐほう)と言うのは仏教の教えや悟りを開く道を求めることらしいので、庚申講中で信心を誓ったりしたのだろうかと想像してしまった。

場所  足立区竹の塚5丁目26-14

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