慈眼寺の石仏(葛飾区亀有)
葛飾区亀有にある慈眼寺は真言宗の寺院で、開山は天正4年(1576)とされる。織田信長が勢力を広げ甲信の武田氏を倒し、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に中国攻めを命じた時期のことである。まだ江戸周辺は人の少ない農村であった。まだまだ小田原北条氏らの支配の跡がのこっていた時代である。
この辺りは何度となく中川の氾濫に襲われ、慈眼寺も数回にわたり洪水の被害を受けて多くのものを失ったという。山門を入ると左側に洪水を意識したのか2階が本堂になった建物になっている。いっぽう山門入った右手には宝篋印塔や地蔵菩薩像が並んでいる。
右のやや大きい方の舟型光背型の地蔵菩薩は僧侶の供養に建てた墓石のようであるが、造立年は万治3年(1660)9月ととても古いものである。左側のすっきりとした舟型光背型の地蔵菩薩像は享保12年(1727)4月の造立。地蔵の右側には「奉供養西国秩父坂東百ヶ所順礼自他平等現當安楽祈処」と刻まれている。
場所 葛飾区亀有2丁目54-15
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