題経寺墓地の石仏(葛飾区柴又)
柴又帝釈天の題経寺の墓地は帝釈天の境内ではなく、900mほど南の京成成田空港線の新柴又駅の北にある。境外墓地というものは意外に質素なものだが、この題経寺の境外墓地はなかなか立派な門構えと敷地であった。
門の中に入ると左手に、浅間山噴火川流溺死者供養碑というものが立っている。天明3年(1783)7月に題経寺の住職主導で建立された供養塔である。武州葛飾郡東葛西領柴又村の銘がある。
浅間山の天明の噴火は同年7月5日から8日にかけて発生。関東一帯は甚大な被害を受けたが、利根川上流の吾妻川(八ッ場ダムで有名)では山津波と降灰で川が堰き止められた後、決壊して下流は大洪水、死者2000人余りとなった。利根川を流下した溺死体は多数がこの柴又の地に流れ着いた為にその供養のため建てたものである。当時の江戸川は利根川と繋がっていた。
さらに墓所の方に入っていくと脇に石仏が並んでいる。左の駒型の庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、造立年は享保2年(1717)3月と刻まれている。左側には「奉造立二世安楽所」と書かれている。右の舟型光背型の石仏はどうも菩薩っぽい。寛文9年(1669)9月の造立年が刻まれており、「庭講中」と書かれている。「庭」が何を指すのかは分からない。
場所 葛飾区柴又5丁目9-22
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