真勝院の石仏(葛飾区柴又)
帝釈天の北にある真言宗の寺院が真勝院。相当な古刹で、創建年は大同元年(806)と伝えられ、江戸時代までは柴又八幡神社の別当を務めていた。帝釈天の題経寺は江戸時代初期の創建であるから、真勝院はそれ以前のこの地の中心とも考えられる。
入口は豪華な山門。その先は真っ直ぐな参道で正面に本堂が立つ。本堂に向かう参道の右手にいくつもの石仏が並んでいる。
本堂の手前にひときわ目立つ立派な5基の石仏が並んでいる。「五智如来像」といい、密教では大日如来の智慧を5つに分け5仏に充てている。右から、阿閦如来、宝生如来、大日如来、阿弥陀如来、不空成就如来で、中央の大日如来がAKB48ならぬセンターの役目。右に笠付角柱型の石塔があり、万治3年(1660)10月に柴又村の名主済藤次良衛門と相模伊勢原村の鳥居九良佐右衛門らにより逆修供養のために建てられたとある。
鐘楼の階段の下には廻国供養塔が一基ぽつんと立っている。なんとも不思議な立ち位置である。この供養塔は正面に「奉供養日本廻国六十六部 二世安楽攸」とあり、造立年は享保12年(1727)7月と刻まれている。
鐘楼の山門側には無縁仏塔があり、綺麗に整列しているが、その最前列にあるのが舟型光背型の六地蔵菩薩。左の2基は後年の再建だと思われるが、葛飾区の資料では江戸時代造立としている。「真言講中」という文字もみられる。
無縁仏塔の中に異質な雰囲気の馬頭観音があった。新しいもので昭和35年(1960)5月の造立とある。願主名は秋山シンと書かれている。戦後の馬頭観音は意外に少ない。
無縁仏塔の後ろの方に並ぶ立派な舟型の聖観音像が目に入ってくる。造立年は寛文9年(1669)9月とあり、「奉造立観音尊像念仏▢人▢二世安楽所」と刻まれている。願主名がいくつも刻まれているので、念仏講中によるものだろうか。
無縁仏塔の右、墓所側に立っていたのがこの大きな舟型光背型の地蔵菩薩像。造立年は削られていて分からないが葛飾区の資料では江戸時代となっている。その他の刻銘なども削り取られた痕跡があり不明。この刻銘を削り取った石仏をしばしば見かけるが、どういう目的で削っているのだろうか。
場所 葛飾区柴又7丁目5-28
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