光福寺の石仏(江戸川区松島)
江戸川区松島にある真言宗の光福寺は長松山延命院光福寺といい、開山は天文元年(1532)と古い寺院である。通称「五分一不動尊」あるいは「いちょう寺」と呼ばれるらしい。五分一というのはかつてのこの辺りの地名で、古道である佐倉街道(千葉街道)はこの寺の前を通っていた。現在の五分一通りがその街道筋で、北東に進むと八蔵橋交差点で南からきた現代の千葉街道(国道14号線)が合流する。八蔵橋は千葉街道が境川を渡った橋名である。そのひとつ江戸寄りの支流に架かっていたのが五分一橋である。
本堂横に大きな不動堂がありその中に不動尊が祀られているらしい。その本堂と不動堂に挟まれた裏手に大きな銀杏の樹がある。幹回り5m近い古木である。本堂手前の石仏を拝観していると、住職が帰ってこられ、いろいろな古い石仏を紹介して下さった。
まずは駒型の庚申塔。日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、青面金剛は左手にショケラを下げている。左側面に造立年があり、延享3年(1746)9月と書かれている。右側面には「奉造立青面金剛 西場講中 敬白」とある。西場という地名はどこにあたるのかは分からない。
無縁仏群の主尊がこの舟型光背型の地蔵菩薩像である。文字が摩滅していて造立年は不明だが、頂部に「奉造立供養」と刻まれている。台石にはこの地蔵尊を無縁仏群の主尊にした記録があり、大正3年(1914)9月に三代目関口又左衛門という人物が寄進したとある。周りの無縁仏がほとんど江戸時代初期から中期のものなので、おそらくこの主尊もその時代ではないかと思われる。
場所 江戸川区松島1丁目9-24
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