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2023年1月30日 (月)

安福寺の石仏(葛飾区西水元)

葛飾区西水元にある安福寺は真言宗の寺院。創建は不詳ながら江戸時代中期と推定される。この寺は「夕顔観音」で江戸時代に有名になった寺院で、寛文8年(1668)飯塚村の名主関口氏が夢のお告げで松の根元から掘り出した観世音菩薩を夕顔観音と名付け、堂宇に安置したのが始まり。銅造の観音で造立年は弘長2年(1262)らしい。

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寺の山門に至る手前に墓所があり、そこに舟型光背型の六地蔵が並んでいた。造立年は享保7年(1722)7月で揃っている。葛飾区の資料によれば寺には享保20年(1735)の六地蔵があるとしているが見当たらない。この墓所の地蔵には紀年の下に「飯塚村真言講中」と記されている。

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寺の山門前にも墓所があり、その手前の入口脇に「夕顔観音」の史跡碑がある。これは昭和34年(1959)4月の弘法大師1150年紀年として建立されたもの。正面には夕顔観音の由緒が刻まれる。

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本堂前に一基の駒型庚申塔が立っている。風化がかなり進んで文字も読みづらい。日月はかすかに残るかどうか左頂部が欠損しているので断定できない。青面金剛像、邪鬼、三猿が陽刻されており、尊像右下に造立年がある。寛文なのか元文なのか読み取れない。葛飾区の資料には寛文2年とあるが、石川博司氏の資料によると寛文2年の板駒型と元文2年の板碑型がそれぞれ載っている。ここは区の資料に従うと、寛文2年(1662)7月の造立となるが、そうすると駒型では都内でも一二を争うくらい古いものとなる。判別が難しい。

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本堂の左手奥にもう一基の駒型庚申塔があった。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、左手にはショケラらしいものがある。造立年は明和3年(1766)7月。脇に「右 猿ヶ又道 飯塚村講中」と記される。下にある四角い台石にはなぜか天明元年(1781)10月の紀年が入っており、後年に加えられたものだろうか。正面には多数の願主名、後ろ側に「庚申講中」と天明の紀年月、側面には「此方 ニ江半流山道」「此方 新宿 千住道」という道標が刻まれている。

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庚申塔の手前にはかなりひどい風化とゼニゴケで判読が難しい舟型の地蔵菩薩像と舟型の聖観音像がある。地蔵はかなり風化が進み欠損もあり年代は不明だが、葛飾区の資料では江戸時代と推定している。右の聖観音像は寛文5年(1665)8月と古いもの。浄秋らの願主銘がある。

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こちらは夕顔観音に因んだ宝篋印塔と対の燈籠。宝篋印塔の造立年は寛延3年(1750)10月で「武刕葛飾郡飯塚村」の銘があり、安福寺と村人によって建立されたもの。燈籠の竿部には正徳元年(1711)8月の紀年が入っている。まさに安福寺は夕顔観音の寺として栄えたことが分かる。

場所  葛飾区西水元1丁目7-19

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