円蔵寺の石仏(葛飾区西水元)
葛飾区の水元は東に千葉県境の江戸川、西には古利根川である中川が流れ、北の埼玉県境には大場川および小合溜(こあいだめ)という河川とも池ともいえる水場があって水に囲まれた地域である。この小合溜は江戸時代に造られた低湿地のダムのようなもので、その為「水元」という地名が出来た。
西水元の北の端に近いところにあるのが浄土宗の円蔵寺である。創建は不詳ながら江戸時代の初期と伝えられる。開基は猿ヶ股村の五郎佐衛門とその妻とされる。宝永元年(1704)と明治21年(1888)に中川(古利根川)の洪水に遭い寺の資料が失われた。
山門をくぐって右側にはゼニゴケが厳しい舟型光背型の六地蔵が並んでいる。造立年は享保7年(1722)9月と刻まれており、それぞれ右側に「奉供養六地蔵」と書かれている。六地蔵と向かい合うように、山門をくぐって左側には4つの石仏が並んでいる。
左端の唐破風笠付角柱型の石仏は庚申塔である。上部に日月、下部に線刻の三猿が描かれている。正面には「神力演大光普照無際土消除三垢冥広済衆厄難」「奉造立庚申供養為二世安楽」と書かれている。造立年は天和3年(1683)9月である。隣りは分厚い駒型の庚申塔で、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿、そしてなぜか右側だけの一鶏が描かれ、左手にはショケラがある。造立年は安永6年(1777)11月。「東葛西領猿新田講中」の銘がある。右から二番目はとろけた地蔵で文字は読めない。右端の自然石は馬頭観音である。裏に造立年があり大正8年(1919)8月、坂峯栄吉の施主名があった。
本堂右手の墓所側には舟型光背型の聖観音菩薩像と板碑型の石仏がある。聖観音は宝永7年(1710)2月の造立で、「奉供養大乗妙典日本回国六十六部求願成就所」と書かれている。右の板碑型のものは墓石らしく、元禄3年(1690)6月の紀年と法名らしき文字がある。
場所 葛飾区西水元3丁目17-7
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