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2023年2月28日 (火)

西光院跡墓所の地蔵(葛飾区奥戸)

葛飾区奥戸は昔は奥戸村で、鎮守は奥戸天祖神社、別当が西光院だったが、西光院は今は無く、奥戸天祖神社はマクドナルドの裏にある。西光院がいつ頃廃寺になったかだが、明治後期の地図を見ても載っていないので、廃仏毀釈の明治初頭ではないかと思う。しかし墓所は現在も続いているわけで、それが確かな人の営みだと言えるだろう。

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訪問時、ブロック塀の入口が開いておりお参りをされている方がいらしたので一緒に入らせていただいた。古い地蔵や無縁仏塔は左手奥の方にあった。

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屋根の下に祀られていたのは2基の地蔵菩薩。右の舟型地蔵菩薩は1.8mほどの大きさがあり、造立年は元禄6年(1693)9月とある。尊像脇に「奉造立地蔵菩薩念仏供養成就所 同行六人、同行六十人」と書かれている。左の舟型地蔵菩薩は明和6年(1769)の造立で、「奉納大乗妙典六十六部日本回国供養」「三界万霊」などとある。

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無縁仏の主尊がこの舟型の地蔵菩薩像。造立年は享保17年(1732)3月で、「某供養地蔵尊為喝念仏二世安楽也」とある。あまり広くない墓所だが江戸時代の西光院はどれくらいの規模だったのか、江戸時代の切絵図を見たがそれにも載っていなかったので、詳しくは分からない。

場所  葛飾区奥戸丁目32-2

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2023年2月27日 (月)

中山道一里塚の馬頭観音(北区滝野川)

タモリ氏のネタに「旧中山道」というのを女子アナが「1日中山道」と読んだというのがあって、最初に聴いた時は爆笑してしまった。そんな中仙道の一里塚はJR埼京線板橋駅の東側にあるのだが、板橋駅を出るとすぐに近藤勇の墓というのがある。中山道からは100mほど南になるが、ここで新選組組長近藤勇が処刑された。かつてあった板橋刑場である。

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近藤勇の墓の脇を進み、次の辻を左に曲がると、細道を経て旧中山道に至る。中山道の手前に立派な堂宇があり、その中には馬頭観音が祀られていた。街道筋には馬頭観音は結構あるものだが、ここの祀り方は馬頭観音にしては立派である。

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堂内には角柱型で「馬頭観世音」と書かれた石柱がある。どうもこの辺りにかつて馬捨て場があったらしい。江戸時代は決められたゴミ捨て場が各地に在り、いろんなものがそこに捨てられたという。造立年等は分からなかったが、中山道を往来する馬の姿を今の時代に伝えているような気がした。

場所  北区滝野川6丁目62-1

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2023年2月26日 (日)

寿徳寺の石仏(北区滝野川)

寿徳寺は石神井川の左岸(北側)にある真言宗の寺院で、建保2年(1214)に早船・小宮両氏が主家の梶原氏と争い落ち延びる途中で水中から観音像を拾い上げ、これを石神井川の川沿いの堂山に安置したのが始まりと伝えられる。また新選組近藤勇の菩提寺でもあり、川沿いに近年増築された谷津大観音が知られている。

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谷津大観音の「谷津」というのはこの辺りの古くからの小字である。現在少し北には自衛隊の十条駐屯地があるが、昔は軍の兵器製造工場だった。北区には軍関係の施設が多かったので、石仏も傷んでいるものが多いように感じる。境内の銀杏も信仰の対象で、樹皮を煎じて飲むと母乳がよく出ると信じられていたようだ。

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本堂の左手に自然石の大きな石仏がある。正面に「帝釈天王猴」と書かれたのは庚申塔で、明治41年(1908)5月の造立。側面には紀年と「寿徳寺二十二世 願主宮本宥弌」の銘があり、裏面には「庚申講 谷津組」と書かれて、20名ほどの願主名が刻まれている。

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少し奥にあったのがこの3体の地蔵菩薩像。左の丸彫地蔵は造立年等は不詳。右のちょっと変わった舟型の地蔵菩薩は明治39年(1906)の造立。そしてセンターは台石に三猿の描かれた庚申講中による地蔵菩薩像である。地蔵の尊顔の左右には日月が描かれており、「奉造立庚申供養二世安楽處 願主守應法印」「武刕豊嶋郡谷津村」とあり紀年が延宝3年(1675)10月と続く。江戸時代初期の庚申講では意外に地蔵菩薩のものがあり、青面金剛は江戸時代中期からが主である。

場所  北区滝野川4丁目22-2

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2023年2月25日 (土)

金剛寺の石仏(北区滝野川)

正受院から少し上流の石神井川のほとり、紅葉橋のたもとにあるのが真言宗の金剛寺。もみじ寺の俗名もあり、昔から紅葉の名所として知られてきた。創建については、弘法大師(空海:774~835)が遊歴した折に創建したとあるので、相当古いが不詳である。平安仏教としては天台宗の最澄と真言宗の空海というのが両巨頭であるがあまりに昔過ぎる。

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また空海から数百年後の鎌倉時代直前、源頼朝が当地に布陣した折に、弁財天への信仰からこの場所に岩屋辨天(松橋辨天)を祭り大いなる信仰を受けたという。この辺りで弁天への案内道標を見掛けるが、それは金剛寺の崖下にあるという洞窟に祀られていたらしい弁天で、岩屋弁天として知られていたものを目指している。

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山門前に複数の石仏石塔が並んでいるが、その中でいちばん道路側にあるのがこの板碑型の庚申塔である。造立年は貞享元年(1684)10月で、日月が上部にあり、「岩屋辨財天道」と書かれている。かなり摩滅が進んでいるが、「奉造立庚申供養二世安楽」の文字があるらしい。岩屋弁天が早速出てきた。この庚申塔は昔は巣鴨に在ったという説がある。

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その隣にあるのが背の高い角柱型の石仏で、上部には大日如来が陽刻されている。造立年は寛政10年(1798)で、正面には「多起能ふどう尊 ま起能おく王ん音 これより左え」とあるらしいが達筆すぎて読めない。側面には和歌が彫り込まれている。これもどこかから移設したものらしい。

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一番左に在ったのは「西国三十三所供養塔」とある石塔で、上部に彫られているのはどうも馬頭観音っぽい感じがする。造立年は寛政9年(1797)10月とある。ちなみに頼朝の布陣伝承地の説明板があり、石橋山の戦いに敗れて安房国に船で逃れ、そこから上総国、下総国の坂東武士を集めて隅田川を越え、ここ滝野川の松橋に陣を取った。石神井川は切り立った崖の下を流れており、その崖の洞窟に祀られていた弘法大師作という弁財天に祈願して鎌倉へ進軍したとされる。

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境内にも岩屋弁天にまつわる石仏があり、これは延宝8年(1680)に建立された庚申塔で、中央には「岩屋辨財天道」とある。脇には「▢▢待庚申供養」という文字もあることから庚申塔と考えられているようだ。

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山門脇にも1基、角柱型の庚申塔があり、正面には「奉庚申供養石橋造」とある。造立は元文5年(1740)11月で、「武州豊嶋郡滝野河村講中」の文字が側面に見られる。背面には「導師金剛寺現住俊光」とあるので、これはもとから金剛寺に因むものであろう。

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境内には富士講の珍しい石碑がある。これは富士講の先達として知られた安藤冨五郎の顕彰碑らしい。安藤冨五郎は宝暦5年(1755)に滝野川に生まれ、若い頃から富士講の修行を行い、「丸参講」という講組織を作って富士信仰を広めた人物で、食行身禄の孫弟子である。富士登山を50回以上も行ったというから猛者である。

場所  北区滝野川3丁目88-17

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2023年2月24日 (金)

正受院の石仏(北区滝野川)

石神井川は小金井市を源流に小金井カントリー倶楽部を流れ、武蔵関、練馬、かつての豊島園を経て王子駅まで流れ、ここからは低地で隅田川に注いでいる都内有数の街中の川である。当然縄文時代からこの川沿いには人が住んでおり遺跡なども多い。王子駅にほど近い滝野川にある正受院もまた、石神井川河畔の寺院のひとつである。

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住宅街の路地に忽然と大きな道標が出現。「た記ふとう(滝不動)」と書かれている。左側面には「左 べんてん道」とある。滝不動はかつて正受院にあった不動の滝を示しており、王子七滝のひとつであった。浮世絵にも描かれており、名所江戸百景王子不動之滝(安藤広重作 安政4年)で知られる。

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正受院への参道に入るといくつもの石仏が並んでいる。写真の2基はそのうちのもので、左は大日如来像だろうか。台石には「奉納日本大乗妙典六十六部」「三界万霊石橋供養仏」とあり、寒念仏講中と宝暦12年(1762)4月の紀年がある。右は地蔵半跏像でこちらも「奉納大乗妙典日本廻国六十六部供養塔」とあり、「武刕入間郡川越」の銘がある。

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その先に在った鐘楼を兼ねた山門が珍しい造りをしている。この山門をくぐるといかにも別世界へ入っていく感じがあるから不思議である。正受院は浄土宗の寺院で、創建は1500年代半ばとされる。「室町時代、大和国に学仙坊という不動尊の祈祷を修行する僧侶がいた。ある時、霊夢を見て東国の滝野川の地を訪れ、庵をむすんで正受院を草創した。この年の秋、石神井川が増水したが、水の引いた川から不動の霊像をすくいあげた。学仙坊は、これを不動尊修法の感得した証と喜び、滝の傍に安置した」とされる。

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本堂脇墓所入口に舟型光背型の地蔵菩薩立像がある。この地蔵の台座の花弁には三猿が描かれており、庚申地蔵であることが分かる。造立年は寛文10年(1670)9月と古く、三猿以外にも日月と二鶏が描かれている。尊像右には「武刕豊嶋郡瀧野川村」の銘があり、願主名が刻まれているが鈴木姓が多い。

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その近くに在ったのがこのあまり大きくない甲冑像。「石造近藤守重坐像」と説明板にある。近藤守重は江戸時代の探検家で、千島列島から北海道までの蝦夷地を探検し、択捉島に「大日本恵土呂府」という標柱を建てた。時代は寛政10年(1798)からでロシアが既に何度か貿易交渉に来始めた時代である。彼は後に正受院の隣に「滝野川文庫」という書斎を設けて住んでいた。この石像は谷文晁によるデザインだとされる。

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墓所にあったもう一つの珍しい石仏はこの阿弥陀如来像。台石には三猿が陽刻されており、尊像脇には「奉造立庚申供養二世所」と刻まれている。造立年は延宝8年(1680)10月とこれも古いが、阿弥陀の上にあるのが卍(まんじ)というのもあまり見かけない。周辺には沢山の願主名が刻まれている。

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墓所にはもう一つ気になる地蔵菩薩像があった。舟型の地蔵で造立年は延宝8年(1680)8月とある。右の文字がゼニゴケで読み取れないが、どうも念仏講中による建立のようである。

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本堂左手奥には不動明王像と並んで板碑型の庚申塔が立っていた。これも古いもので造立年は寛文9年(1669)11月とある。「奉造立庚申二世安楽所」という文字が中央にあり、「武州豊嶋郡瀧野川村」と記されている。こうしてみると正受院は江戸時代の初期から人々の信仰を受けていたのだということが分かる。当時の石神井川の崖から望む景観は素晴らしかったのだろう。

場所  北区滝野川2丁目49-5

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2023年2月23日 (木)

金輪寺の石仏(北区岸町)

岸町はJR京浜東北線王子駅の北西の街で、崖線には名主の滝公園、王子稲荷などの名所が並ぶ。崖線だけに名主の滝の傍には三平坂、王子稲荷の傍には王子稲荷の坂と秀逸な坂道がある。王子稲荷は江戸時代から狐の話で有名で名所江戸百景の浮世絵もよく知られている。その名主の滝と王子稲荷に挟まれた地にあるのが金輪寺である。

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金輪寺は江戸時代は旧金輪寺の塔頭のひとつであった。もともと東の平野部の現在王子郵便局がある周辺に広がった平安時代末期創建の真言宗の大寺院であったが、万延元年(1860)に焼失し、さらに明治に入って神仏分離令により廃寺となった。その後塔頭のひとつ藤本坊が金輪寺を引き継ぎ、現在の王子山金輪寺となった経緯である。

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山門を入ると両側に石仏石塔が並んでいるが、写真の丸彫の地蔵菩薩立像は寛政4年(1792)10月の建立で「光明真言講中」の文字がある。これ以外にも寛永年間など江戸時代初期の宝篋印塔などがずらりと並び壮観である。

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少し本堂に進んだところに在ったのが、駒型の庚申塔と不動明王像である。不動明王像はかなり彫り込みのしっかりしたもので、二童子の脇侍もきれいに彫りこまれている。不動明王の常で文字は見当たらないが中央部に「奉」の文字だけが描かれている。左の駒型の庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿の図柄で、造立年は正徳2年(1712)11月。王子村の銘と複数の願主名がある。元々は飛鳥山下の踏切付近の熊谷家にあったものらしい。

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駐車場奥には大きな石塔が三基立っていた。左端は「西国一番 紀伊那智山」とあるので西国三十三ヶ所第一番札所の青岸渡寺に因むもののようだ。安永6年(1777)8月の造立で「王子池上坊」の銘がある。江戸時代は藤本坊、宝持坊、弥陀坊、薬師坊、池上坊、月蔵坊の六坊が塔頭としてあったらしく、そのうちの池上坊のものだろう。中央は「南無阿弥陀仏」と記された石塔である。右の自然石のいかつい石塔には「庚申塔」と大きく彫り込まれており、基壇には「岸講中」とある。造立は文化5年(1808)11月で、珍しいのはこの石が結晶片岩で造られていることだろうか。秩父あたりの石を持ってきたものかもしれない。

場所  北区岸町1丁目12-22

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2023年2月22日 (水)

東十条子育地蔵堂(北区中十条)

JR京浜東北線の東十条駅はホームの端と端に南口改札と東口改札がある。構内の表示は東口側は北口とあるので紛らわしい。南口改札は王子駅寄りで、改札を出るとすぐに十条跨線橋の上である。十条駅の西側は縄文時代の海食崖で有史以降は河岸段丘と言える。線路と崖上では15m近い高低差がある。道路を渡り向こう岸にあるのが子育地蔵堂。

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地蔵堂の標高はおよそ15mほど、後は崖になっており、そこには地蔵坂がある。京浜東北線沿いの崖線にはいくつもの名前のある坂があるが、地蔵坂もなかなか厳しい坂道で14%ほどの勾配がある。

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地蔵堂の前に角柱型の庚申塔が立っている。日月に加えて「庚申塔」の大きな文字。基壇には三猿が描かれている。造立年は寛政3年(1791)3月で、右側面には「右より練馬みち」「左より豊島みち」、左側面には「武刕豊嶋郡下十条邑講中」の文字がある。

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堂内には大小の丸彫の地蔵菩薩像と舟型の石仏が2基祀られている。中央の大きな丸彫像が家主?の子育地蔵尊である。説明板によると背面には「世話人 弥八 願主 善光」とあるらしい。右の舟型の石仏は影から判断すると聖観音菩薩ではないだろうか。「二月吉日」の文字は読めるがそれ以外は分からない。左の舟型はおそらく地蔵菩薩だろう。端の丸彫地蔵と合わせて全く文字が読める状態ではなく摩滅が著しい。この地蔵堂はもともと地蔵坂の中腹に在ったが、下十条駅(現在の東十条駅)が出来た時にここに移されたという。

場所  北区中十条2丁目9番地先

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2023年2月21日 (火)

金蓮院の石仏(葛飾区東金町)

葛飾区東金町にある金蓮院(こんれんいん)は真言宗の寺院。創建は永正年間(1504~1521)と伝えられる。徳川家との関係も深く、江戸時代は水戸徳川家の祈願所でもあった。境内には大きな樹木も多く、コウヤマキ(大羅漢樹)は区の天然記念物に指定されている。

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金蓮院の石仏の主役はなんといってもこの愛染明王石像である。駒型のこの石仏は宝永7年(1710)9月の造立。尊像脇には「奉造立愛染明王石像二世安楽攸 廿六夜待講中」と刻まれている。紀年の下にはまた「同行三十五人」とある。

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愛染明王は座像で三目六臂の姿。二十六夜待というのは、江戸時代陰暦だった頃に、二十六夜の月を待ちながら講中が集い、飲食をしながら祈願するというもの。月待信仰としてはもっとも遅いのがこの二十六夜待で逆三日月型の月が夜明け前に昇る。つまり徹夜して飲み食いすることになる。その月の姿に阿弥陀三尊が現れると信じる人もいて阿弥陀三尊も二十六夜待の主尊となることがある。阿弥陀三尊は阿弥陀如来・勢至菩薩・聖観音である。

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本堂の左側には見事な舟型光背型の六地蔵が並んでいる。造立年は右から、宝暦3年(1753)4月、宝暦12年(1762)4月、明和3年(1766)10月、明和元年(1764)10月、宝暦10年(1760)月不明、明和9年(1772)7月と刻まれているが、どれももとは墓石で、寛政7年(1790)頃に六地蔵としてまとめられたらしい。

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六地蔵の先には大きな唐破風笠付の丸柱の庚申塔がある。正面には「奉造立庚申」の文字があり、元禄12年(1699)10月の造立年が刻まれている。横には蓮華蓮葉が陽刻され優美な雰囲気がある。

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無縁仏群の中には多くの古い石仏があって、宝暦、元禄年間のものが多い。その中に一基だけ墓石でない舟型光背型の地蔵菩薩がある。尊像右には「奉納六十六部供養成就之所 願主弘善敬白」とあり、造立年は享保17年(1732)10月とある。また「為父母両親六道衆生皆成仏道 佐刕羽郷本郷寺 田村氏江氏」とも書かれているので、移設されたものだろうか。

場所  葛飾区東金町3丁目23-13

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2023年2月20日 (月)

龍神使姫石碑(葛飾区東金町)

葛西神社から少しだけ旧水戸街道を南に進む。旧水戸街道は今は東金町コミュニティ道路という名でよばれているようだが、金町駅あたりから北東に進み葛西神社の西を迂回して江戸川沿いに北上する古い街道である。葛西神社から南のこの道もまたかつては水戸街道だった。

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その道路端にぽつんと立っている駒型角柱の石碑、正面の文字は「龍神使姫」と書かれている。裏面に何かが書かれていると思って回り込んでみるとざっくりとえぐり取られたように削られていた。ただ、右上にわずかに「昭」という文字が見えたので、昭和に入ってからの造立だろうと思う。葛西神社にも龍神があって白蛇の像もあったが、それとの関係は分からない。ただ、水神様に関わることは間違いないだろう。

場所  葛飾区東金町6丁目5-4

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2023年2月19日 (日)

葛西神社の石仏(葛飾区東金町)

葛西神社は平安時代末期~鎌倉時代初期に創建された神社で、元暦元年(1184)に下総国香取神宮の分霊を勧請して興された。古い時代は葛西三十三郷の総鎮守として広い範囲から詣でるものが多かったようだ。

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現在は南側と西側に鳥居があり入口となっている。しかし元々は江戸川に向けて開いていたような雰囲気がある。境内には明治時代に築かれた富士塚もあって、弁天様ほか多数の神々が祀られて賑やかな面がある。

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社殿の右奥の江戸川土手寄りに珍しい石像がある。鐘馗(しょうき)様の石仏である。説明板には「葛西神社鐘馗石像」と題されているが、右手に剣を持ち、左手には小鬼をぶら下げた鐘馗様という神様である。尊像脇には「奉造立鐘馗為悪魔降伏」「金町村施主敬白」「念仏講結衆同行41人」などと記されている。造立年は元禄8年(1695)7月である。鐘馗様は疫鬼(やくき)を退け、魔を除く神として信仰されてきた。少なくとも都内ではこのほかには鐘馗様の石仏は見ていない。

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南東の端にはなぜか鳥居がある。どうもここが江戸川側から参詣した時の入口のようだ。手前にはちょっとユニークな対の狛犬がいる。鳥居の建立は宝暦13年(1763)2月とあり、葛飾区では最古の石鳥居らしい。狛犬の造立年は宝暦8年(1758)とこれも古く、ここから出入りしていた舟運の時代を彷彿とさせる。

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宝暦の石造鳥居の傍にはこの舟型光背型の聖観音像もあった。かなり剥離が進んでいるが、側面には寛保元年(1741)の造立年がある。また「金町上村」の銘があり、今は読めないが、葛飾区の資料では蓮台下には「是よりみぎいわつき慈恩寺迄二り」という道標があるらしい。この聖観音像はもともと東金町4-13先の旧岩槻街道にあったというが、その場所であっているのかどうかは分からない。金町上村とあることから神社のすぐ近くに在ったのではないかと私は思っている。

場所  葛飾区東金町6丁目10-5

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2023年2月18日 (土)

葛西神社前の庚申塔(葛飾区東金町)

葛西神社は江戸川のほとりにある。こういう神社は古いと感じて由緒書きを見ると、元暦元年(1184)に千葉県佐原の香取神宮の分霊を勧請して創建したとある。思ったよりも新しい。鎌倉武士が勢力を伸ばしていた時代である。その葛西神社の前に土手に上がる道があり、その坂道の脇にぽつんと一基の庚申塔が立っている。

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駒型の石に珍しく印刻された庚申塔である。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で三猿と日月が陽刻。中折れしたものを補修した痕跡があるが、どうも左手にはショケラを下げているようである。側面に紀年があり、造立年は文政2年(1819)正月とある。その下に「再興」の文字があるので、それ以前から先代の庚申塔があったようだ。

場所  葛飾区東金町6丁目8番地先

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2023年2月17日 (金)

光増寺の石仏(葛飾区東金町)

JR常磐線金町駅の北東、江戸川の土手の近くにある浄土宗の寺院が光増寺。創建年代は貞応元年(1222)で法海というお坊さんが庵を結んだのが始まりという。元仁元年(1224)に親鸞が立ち寄った際に法海が帰依し、浄土真宗光増寺となった。戦国時代に国府台決戦で焼失したが、天正15年(1587)に浄土宗として中興した。

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江戸時代は水戸藩に繋がる水戸街道が近い為、水戸徳川家の立ち寄り所になっていた為、寺には徳川家の紋所がある。古刹だけに境内には様々な年代の石仏が祀られており面白い。

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まず目に入るのは立派な屋根に守られた舟型光背型の六地蔵菩薩。年代的には享保11年(1726)~享保13年(1728)のものを纏めている。右から「奉造立金剛源地蔵大菩薩 念佛講敬白」「金町上村」とあり、享保11年7月の造立。右から二番目は享保12年8月、三番目は享保12年11月で「金町上念仏講中」とある。左から三番目は放光王地蔵で紀年はないが「金町上念仏講中」の文字、左から二番目は「金町上村念仏講中」、そして左端は享保13年7月の造立で、こちらも「金町上念仏講中」とある。

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六地蔵の脇にあるのがこの舟型の地蔵菩薩像。かなり風化が進んで文字が読めない。葛飾区の資料を参考にすると、元禄7年(1694)7月の造立で、「そうか迄二里半」「これよりミぎ いわつきおんじミみ」とあるらしい。蓮台には「金町村」の文字がある。

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少し山門寄りにあったのが上の庚申塔と地蔵菩薩。左の庚申塔は舟型光背型で日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄。宝暦5年(1755)12月の造立で、「再建立 金町村講中」とあるので実はさらに歴史を遡るもののようだ。右の舟型地蔵菩薩は元文6年(1741)正月のもの。「これより左いわつきじおんじ道」とある。戒名もあるのでもともと墓石の可能性もある。

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本堂に向かって左側には大きな舟型の勢至菩薩像。「念仏講之結衆」とあり、造立年は寛文13年(1673)正月と刻まれている。蓮台には「武州葛飾郡葛西之庄金町上郷」とある。右隣りは舟型の聖観音菩薩像。造立は元禄5年(1692)7月で「念仏講結衆 金町村同行五十人」の文字がある。

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その先の舟型光背型の地蔵菩薩像はおそらく墓石である。「妙春信尼」の文字があるが、造立年は寛文10年(1670)2月の紀年がある。右の花の後ろにある自然石は馬頭観音。大正6年(1917)11月と刻まれている。

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本堂前にあった舟型光背型の阿弥陀如来像は葛飾区の資料には載っていなかった。戒名があるのでこれも墓石らしい。左側に造立年が刻まれているが、延宝3年(1675)とある。

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本堂前に在ったこの不思議なデザインの舟型の石仏はよく見ると馬頭観音である。三面八臂の尊像で、顔が面白い。台石の側面に、天明4年(1784)10月の紀年と、「金町上村 講中」の文字が見られる。

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山門近くに在った太子堂の脇に大きな巡拝供養塔と聖観音があった。巡拝供養塔は「月山 湯殿 羽黒 三山大権現」と大きく書かれており、金町村講中の文字がある。造立は安永3年(1774)正月とある。右の聖観音像は元禄8年(1695)12月のもので、これは戒名があり墓石である。

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太子堂の向かいを少し入ったところにこの2基の地蔵菩薩がある。どちらも舟型光背型だが、左側は享保17年(1732)正月の紀年。右側の文字は残念ながら削られてしまっていた。右の地蔵菩薩は宝暦13年(1763)3月の造立。こちらも右側の文字が削られている痕跡がある。光増寺は歴史の古い寺院だけに極めて沢山の石仏があって、つい長居してしまった。

場所  葛飾区東金町6丁目20-17

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2023年2月16日 (木)

観蔵寺の石仏(葛飾区東金町)

葛飾区東金町にある観蔵寺は真言宗の寺院で、創建は不詳ながら江戸時代とされる。かつて盗賊がこの寺に侵入したが、不動明王の怒りに触れて捕らわれてしまったので、寺では明治時代まで戸締りをしたことがなかったという。その為「あけっぱなしの不動」と呼ばれたらしい。後述するいぼとり地蔵尊としても人気があったようだ。

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寺の入口は普通の民家のようだが、入ると左手に本堂がある。本堂と向かい合うように堂宇があり、その中にあるのがいぼとり地蔵である。いぼとり地蔵はあちこちにあるが、このイボというのは疱瘡という病で近現代では天然痘と呼ばれるもの。当然天然痘ウイルスが原因なのだが、江戸時代の人々にはウィルスの存在などは知る由もない。

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現在のいぼとり地蔵は丸彫の白い地蔵尊だが、その後ろにあるのがおそらく先代の舟型光背型の江戸時代からあるいぼとり地蔵であろう。造立年は享保9年(1724)3月で、資料によると「奉建立地蔵菩薩」とあるようだ。患部に塩をぬって祈願することから石はどんどんと腐食していくので、溶けたようになっている。

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地蔵堂の裏手にある無縁仏塔の主尊がこの舟型光背型の地蔵菩薩像である。こちらはかなり古いもので、万治2年(1659)2月の紀年が入っている。「奉造立・・・」とあるが読めない。また「金町」の文字もあるので、当時からこの辺りで祀られてきたものだろう。

場所  葛飾区東金町7丁目1-2

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2023年2月15日 (水)

共同墓地の釈迦如来像(葛飾区東金町)

水元公園の小合溜に近い東金町の一画に小さな共同墓地がある。本当に何の変哲もない小さな墓所で、おそらくは誰も目を止めることがないような場所。

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この墓所については明治時代の地図を見てみても墓地の印があり、かつてこの辺りを下小合と呼んでいた時代から歴々と続いてきたものなのだろう。そんな墓地の真ん中にやや大きめのお堂が立っている。

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お堂の中を覗いてみると立派な釈迦如来坐像が祀られていた。造立年は延宝6年(1678)と古い。蓮台にある月の数字は欠損しているがその下の十五日という文字は見える。「▢▢村男女二百五十人 施主敬白」とあるが読めないところはおそらく下小合だろう。

場所  葛飾区東金町5丁目18-10 

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2023年2月14日 (火)

東江寺の石仏(葛飾区東金町)

JR常磐線金町駅の北数百mの地にある天台宗の東江寺は幼稚園の方がメインかと思われるような感じである。ところが創建年は多田満仲(源満仲:平安時代中期の武将で清和源氏のひとつ多田源氏の祖とされる)による創建で天徳2年(958)と古い。当時は江戸牛島にあったというから、牛嶋神社のある墨田区向島辺りである。

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多田薬師の名で知られた東江寺も関東大震災で罹災し、やむなく東金町の地に移転してきた。昭和2年(1927)のことである。正面に斜めに建つのが本堂で、御参りをしたのち右手墓所方向に回ると、本堂脇の植込みにいくつかの石仏がある。ほぼ墓石で戒名が刻まれているが、享保年間(1716~1736)や貞享(1684~1688)・元禄(1688~1704)のものが多い。

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その中に一基だけ墓石でないものがあった。舟型光背型の聖観音菩薩像で、「寒念仏供養 同行 道安 久三郎 ・・」とある。造立年は寛文4年(1664)11月とある。この地に在ったものなのかあるいは牛島から移したものなのかは記述がないので分からない。

場所  葛飾区東金町2丁目25-12

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2023年2月13日 (月)

南蔵院の石仏(葛飾区東水元)

しばられ地蔵で有名な南蔵院には他にも魅力的な石仏が多数ある。もともと本所業平橋にあった南蔵院だが、地名の通りその辺りには三十六歌仙のひとり在原業平(825~880)が住んでいたとされる。彼は『伊勢物語』の主人公とも言われ、「東下り」で東国の国司としてこの地で荘園に関係していたという説がある。おそらくは農地もほとんどない未開の地だっただろう。

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業平橋の南蔵院は関東大震災で罹災し葛飾の東水元の地へ移転することになった。大岡政談で広く知られたしばられ地蔵があるということで、地域でも有数の大きな寺域を持っている。そんな南蔵院の境内をそろりと回ってみた。

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地蔵堂の右手から裏に回り込むと、駒型の庚申塔が立っていた。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、三猿は半ば土中に埋まっていた。造立年は安永3年(1774)11月で、「下小合西中村講中」の銘がある。中村というのはこの辺りの古い小字らしい。

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しばられ地蔵の裏に在ったのがこの六面の六地蔵幢。造立年は延宝2年(1674)8月と古いものである。擬宝珠も立派なものだし、地蔵の一体一体の彫りもなかなかのものである。

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墓地には自由に出入りができる。墓地の奥の歴代住職の墓所にあったのが、上の写真の後ろの舟型光背型の地蔵菩薩像。上部が欠損したのを補修してあるが、造立年は享保3年(1718)10月で、「奉修念仏供養為二世安楽也  聖徳寺」とある。聖徳寺は南蔵院が移転する以前にここに在った寺院で廃寺となった。蓮台には「施主 下小合村 同行33人」とある。手前の小さな舟型の石仏は馬頭観音である。珍しい形で葛飾区の資料では江戸時代のものとしている。

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並びにあったもう一基の舟型光背型の地蔵菩薩像は上部が真横に折れた痕跡がある。錫杖の上部のみが残っている。この地蔵はさらに古く、承応3年(1654)8月の紀年がある。「本願主 聖徳寺」「奉修念仏供養為二世安楽也」と彫られている。聖徳寺については南蔵院が正徳寺に合寺したと書かれた資料もあるが、おそらくは廃寺となっていたところに移転してきたというのが経緯ではないだろうか。

場所  葛飾区東水元2丁目28-15

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2023年2月12日 (日)

南蔵院しばられ地蔵尊(葛飾区東水元)

水元公園の近くにある南蔵院は関東大震災で罹災した為、本所業平橋から水元の地へ移転した経緯がある。この南蔵院は「しばられ地蔵」で有名な寺院で、興味深い逸話が残っている。

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しばられ地蔵への道標が現代になっても極めて目立っており面白い。都道501号線脇の東水元公園の角にはこの石柱道標がある。正面には「江戸名所縛られ地蔵尊入口」と書かれているが、裏面の記述を見ると、「昭和4年(1929)5月28日 本所業平橋ヨリ移転 当山第39世日吉圓順代」と書かれている。

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さらに少し南蔵院に近づくと公園に在ったものの3倍ほどの高さの道標が立っている。こちらには「天台宗業平山南蔵院」と書かれており、しばられ地蔵ではなく南蔵院が主役。昭和17年(1942)10月建之とあり、施主は公園の道標と同じ日吉圓順代と刻まれている。間もなく南蔵院に着き、大きな山門をくぐると左手に本堂、正面に地蔵堂がある。地蔵堂の左手に縄でぐるぐる巻きにされたお地蔵さまが祀られている。まずは地蔵堂にお詣りして、縄でくるまれたしばられ地蔵を拝む。

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日本橋の木綿問屋山形屋に丁稚奉公する喜之助が風呂敷包みに入れたさらしを届ける途中、業平橋の因果地蔵尊で一眠りしたところ、包みごと盗まれてしまった。南町奉行大岡越前はこの事件の裁きに、因果地蔵を白州に置き、罰を申し付け、さらしに名前を書かせて提出させたところ、見事に山形屋の商品を発見、そして盗んだ真犯人を見つけ出すという話が大岡政談に書かれているようだ。

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この話から、このしばられ地蔵尊は盗難除け、足止め、厄除などいろいろなことに御利益があると信じられ人気を保ってきた。ちなみに茗荷谷駅至近の林泉寺にもしばられ地蔵尊がある。そこでも大岡政談は紹介したが、こちらのしばられ地蔵が本物とされている。

場所  葛飾区東水元2丁目28-15

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2023年2月11日 (土)

蓮蔵院の石仏(葛飾区東水元)

水元公園の内溜の南側に目立たない寺院がある。真言宗の蓮蔵院である。創建年は寺伝によると1500年代前半で、宥賢法師(永禄7年1564年寂)によるという。当時の関東は小田原北条氏が勢力を広げてきた時代。水元辺りは下総国にあたるだろうか。東国の本当に片田舎だった。

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現在の蓮蔵院はやはり静かな寺院である。明治時代以前の内溜は今よりも幅が広く、蓮蔵院の傍まで水辺だったようだ。この辺りは下小合村の中でも中組という地域で、ここから金町に繋がる広い道路は昔の上下之割用水の水路跡に敷かれた道路である。

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入口に近いところに立っていたのは基壇に「成田山」と書かれた不動明王像だが、かなり剥離が酷く像の原形をとどめていない。台石に元治元年(1864)の紀年があるが、葛飾区の資料によるとこれは基壇の建立年であって不動明王のものではないらしい。

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その先には笠付隅丸型の六面地蔵幢があった。葛飾区は地蔵幢が思いのほか多い。見える範囲で紀年などは読み取れなかったが、おそらくは江戸時代後期のものだろう。

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目立つ子育地蔵と数多の小さな地蔵菩薩の塊の脇には櫛型角柱型の珍しいタイプの聖観音像がある。聖観音像の雲台にはなぜか三猿が描かれている。このパターンは初めて見たように思う。造立年は宝暦6年(1756)5月。「光明真言講中」の銘がある。庚申塔ではないらしい。「是より 右いわつきぢおん寺道」「草加二里」などと書かれている。また「下小合村水元」の地名も入っていた。

場所  葛飾区東水元2丁目39-10

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2023年2月10日 (金)

水元さくら堤の庚申塔(葛飾区水元公園)

水元公園周辺には面白いところが多い。小合溜の動植物も興味深いし、内溜でひねもす釣り糸を垂れている太公望たちの姿を見るのも楽しい。そんな内溜と小合溜の迫る丁字路に石仏がある。

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まずはこの道祖神。極めて新しいものだと思われるが何も記述はなかった。東京では似合わない道祖神もここ水元公園ではしっくりくるから面白い。

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道祖神のすぐ横には駒型庚申塔が立っている。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿が描かれている比較的保存状態の良い庚申塔である。台石には紀年があると葛飾区の資料に在ったが土中で見えない。「文政3年(1820)6月 願主 平七」と書かれいるらしい。この庚申塔は昔は東水元3丁目13番にあったもの。本来の場所ではないが居心地のよさそうな立ち位置である。

場所  葛飾区水元公園3

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2023年2月 9日 (木)

延命寺の石仏(葛飾区東水元)

細谷家の地蔵堂から南へ250mほど下ると延命寺がある。入口は東側。特に立派な山門などはなく、幼稚園が併設されている。実は相当な古刹で、小合村の資料によると、奈良時代の創建とのこと。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの年に焼失してしまったが、10年後に古利根川に漂着した地蔵菩薩像を本尊として再興し、延命寺と称したという。門をくぐるとすぐに左手に六地蔵と主尊が祀られている。

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六地蔵は舟型で、右から陀羅尼地蔵、地持地蔵、宝性地蔵、法印地蔵、鶏亀地蔵、法性地蔵とされる。造立年は寛保元年(1741)6月で、施主は「保戸田氏 作右衛門」の銘がある。これは6基とも同じで同時に造立されたものであろう。

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中央には大きな地蔵菩薩の半跏像がある。基壇の文字は消えているが、資料によると、「奉造立念仏供養塔」の文字と並んで享保7年(1722)6月の造立年があるようだ。大きな像で総高は背丈ほどもある。

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その先に在ったのが御影石の馬頭観音で角柱型。昭和元年(1926)4月の紀年がある。右の三猿は御影石で彫られたもののようで、近年のものと思われる。庚申信仰との関係は分からない。

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本堂脇には6基の墓石が並んでいたが、墓石とはいえなかなか貴重なものだったのでじっくり拝見した。右から阿弥陀如来で寛延2年(1749)12月の建立。となりも阿弥陀如来のようでこちらは元禄6年(1693)3月の紀年がある。右から3番目は聖観音菩薩で延宝7年(1679)12月、隣は大日如来坐像で寛文7年(1667)12月でこれが一番古いもの。左から2番目は如意輪観音で元禄6年(1693)5月、左端は聖観音菩薩で元禄5年(1692)9月の造立である。

場所  葛飾区東水元3丁目18-18

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2023年2月 8日 (水)

細谷家の地蔵堂(葛飾区東水元)

東水元の古い道筋の丁字路に地蔵堂がある。細谷家の地蔵堂だが、Google Mapには宝珠地蔵尊と登録されている。この南北の道が江戸時代からある道で、西のバス通りである都道501号線は用水路筋である。戦前あたりまではこの地蔵堂の少し北に水元村の役場があったようだ。

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堂宇の脇には立派な宝篋印塔がある。造立年は享保4年(1719)2月とある。葛飾区の資料によると、「上小合村の細谷氏は永禄4年(1561)に小合郷に移住し、開発主となった」とある。その後名主になったのだろう。

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堂宇内に祀られているのは摩滅が進んだ丸彫の地蔵菩薩像。葛飾区の仕様によると、寛文3年(1663)の造立で、小合村の銘がある。台石の下段には「三界万霊」「地蔵尊 奉納講中」と記されているようだ。堂宇はブロック造りということもあって近年の再建と思われる。

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堂宇の後ろにあるのは駒型の庚申塔。造立年は明和2年(1765)5月で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が陽刻され、尊像の左手にはショケラが下がっている。台石には紀年や「上小合村講中」の銘がある。隣りの丸彫の変わった下膨れな石仏は菩薩像のようだ。造立年は貞享4年(1687)8月で、「奉造立念仏供養二世安楽攸」の文字がある。

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道路側に並んでいる3基の石仏が阿弥陀三尊像である。右から、勢至菩薩、阿弥陀如来、観世音菩薩である。造立年はすべて承応3年(1654)10月で、阿弥陀如来には神無月とある。勢至菩薩には「奉造立勢至一躰念仏供養逆修菩提也 施主 敬白 小合村」とある。阿弥陀如来には「奉造立阿弥陀如来一尊念仏供養逆修菩提也」、観世音菩薩には「奉造立観世音一躰念仏供養 本小合村」と刻まれている。微妙な言葉遣いの違いは何だろうか。

場所  葛飾区東水元4丁目10-13

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2023年2月 7日 (火)

東水元日枝神社の石仏(葛飾区東水元)

東水元にある日枝神社は寛文3年(1663)に創建した、かつての上小合村の鎮守である。宝永元年(1704)に猿ヶ又の堤防決壊で大場川(古利根川)が洪水を起こし社殿は流失したがすぐに再建されたという。

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社殿右脇にある蔵には葛飾区の登録有形文化財である阿弥陀三尊来迎月待供養の板碑があると聞いたが、扉の隙間から覗いてみたらカラであった。どこかに保管されているのだろう。2000年以降、全国の寺社で仏様の盗難が頻発した。まさに世紀末だが、日本の文化財は海外で高値で取引されるという。守るためには致し方ない。江戸時代なら磔獄門だが、今は窃盗が軽い罰であるのがおかしいのである。

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板碑蔵の後ろに在ったのはきれいな舟型光背型の聖観音菩薩像。造立年は天明4年(1784)12月。「一切衆生二世安楽」と書かれている。天明3年に起こった浅間山の大噴火で凶作となり天明の大飢饉が起こった。その犠牲者の為の供養仏の可能性が高い。当時浅間山の噴火では92万人の死者が出たという。古利根川は浅間山の噴火で山津波となり大惨事になった吾妻川から利根川を流下して沢山の亡骸がこの辺りに流れ着いたことは容易に想像できる。

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聖観音像の川寄りには燈籠に似た六面の地蔵菩薩幢がある。台石に紀年があり、造立は天明8年(1788)12月で大川氏が施主のようだ。江戸時代には大きな飢饉が3度あり、享保の飢饉(1732)、天明の飢饉(1782~1787)、天保の飢饉(1833~39)で、この地蔵幢は天明の飢饉が収束したのちのもの。いのちの儚さと現世とあの世での幸せを祈願したのだろう。

場所  葛飾区東水元4丁目15

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2023年2月 6日 (月)

光増寺跡の石仏(葛飾区東水元)

東水元にいつ廃寺になったか分からない寺がある。光増寺という寺院だが、小堂と墓所はきちんと残っており管理されている。敷地内には消防団の倉庫があり、火の見やぐらもあって昭和感に満ちている。

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古い地図を探してみたが、明治時代も大正時代も墓地の印はあるが寺の卍マークはない。さらに昔の江戸時代の切絵図を見ると光増寺から水元公園脇の熊野神社あたりまでを含めたエリアが寺社地のピンク色で塗ってある。

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本堂の斜め前の墓所入口には駒型の庚申塔が立っている。ゼニゴケが多いが、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれている。三猿は大部分が土中に埋まっているようだ。造立年は宝暦9年(1759)5月。尊像右に「奉造立供養 庚申大青面金剛」とあり、左側には「小合新田講中」と記されている。小合新田はこの地の北西に広がる大場川河畔の古い地名。この辺りは江戸時代は上小合村であった。

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庚申塔の隣には「奉唱日紀念仏供養塔」と書かれた櫛型角柱型の石塔がある。造立年は弘化3年(1846)3月とあり、右面には「天下泰平・・・」とあり、左側にも「普門品・・・」と書かれている。

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向かいには六地蔵を挟んで2基の地蔵菩薩がある。左端の舟型光背型の地蔵菩薩は貞享4年(1687)7月の造立で、「奉供養念仏講為二世安楽」「同行百人」の文字がある。右端の丸彫の地蔵菩薩像は宝永4年(1707)10月の造立で、台石には「奉供養 小合新田 念佛講」とあるようだ。また「童男童女二百余人」とも刻まれており、この辺りの人口は果たしてどれだけいたのかと驚く。舟型の六地蔵は享保12年(1727)の造立。こちらは同行三十五人と、通常感覚では多いがさすがに少なく感じてしまう。

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墓所の中に倒されてしまった珍しい聖観音菩薩坐像があった。首が見当たらない。造立年は元禄9年(1696)12月。石仏が自然に倒れたものであれば致し方ないが、人の手によるものだとするとなんと罰当たりなことかと嘆かわしくなる。とはいえ、この石仏は像高だけで1m近くあるので起こすことは至難である。困ったものである。

場所  葛飾区東水元5丁目33番地先

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2023年2月 5日 (日)

土手の馬頭観音(葛飾区東水元)

葛飾区にある水元公園の西の端、中川沿いを走る都道67号線から水元さくら堤が分かれるところのサツキの植込みに自然石の馬頭観音が立っている。さくら堤の対面は葛飾警察署葛三橋交番である。

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なんとも不思議な馬頭観音である。造立年等は記されていない。正面に草書体の崩し字で「馬頭観世音」と彫りこまれている。水元さくら堤は昔は中川の土手であった。今の水元公園やそこから中川に流れる(流れていないかも)大場川が古利根川の流れである。

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このタイプの馬頭観音はあまり見かけない。30度くらい傾いていて、サツキに寄りかかっているのか自立しているのかも分からない。しかし興味深い馬頭観音である。

場所  葛飾区東水元6丁目4-3

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2023年2月 4日 (土)

やく様と不動明王(葛飾区水元)

遍照院にお詣りした後、裏手の路地を歩いてみた。数軒の古くからありそうな戸建のお宅がゆったりと並んでいる。住居表示は葛飾区水元5丁目となっている。

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角からすぐのお宅の庭のような場所に、古い墓石と思われる石仏がいくつも並んでいる。昔は墓というものは家のすぐそばにあったものである。都会では信じられないが、ご先祖様と現世を生きる人々は同じ場所で暮らしているのである。ちょうどこの家の方がいらっしゃったので、少しお話を伺った。この溶けてしまったような舟型のお地蔵様(もしかしたら聖観音)はお宅では「やく様」と呼び近所の人々もそう呼んでいるらしい。紀年などは分からないそうだ。傍にある2枚の板碑も室町時代辺りのものだろうが、文字が摩滅していて読めない。普通の民家にこんなものがあるのは23区内ではいささか驚きである。

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隣りのお宅の敷地の角には今度は新しめの不動明王が祀られている。カイヅカイブキが両脇を固め、櫛型角柱型の不動明王像が屋根付きの下にある。文字はない。この辺りは成田山へ参詣する人々が通った場所でもあるので、その為にお不動様を祀ったのかもしれない。

場所  葛飾区水元5丁目6-17および6-19

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2023年2月 3日 (金)

遍照院の石仏(葛飾区水元)

水元にある遍照院は真言宗の寺院で仏生山和銅寺という寺名の古刹。開創は和銅元年(708)と伝えられるが古すぎてピンとこない。時代としては奈良時代の中期で、大宝律令(701)が制定された後、日本最初の貨幣である和同開珎が発行されたのが和銅元年(708)。2年後に平城京への遷都が行われた。元明天皇と藤原不比等の時代で、ほぼ物語のような感覚でとらえている。当時は東山道が東国へのメインルートで東海道はサブルートであった。そんな時代の創建である。

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山門脇にあるのが舟型光背型の六地蔵。造立年は最右の地蔵に記されており、宝暦8年(1758)12月の紀年がある。刻銘としては「猿又講中 願主五右衛門」の文字が見られる。猿又村があったのはここからかなり西の地域だが、古刹だけに周辺に檀家が広がっていたのだろう。

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本堂の前まで進むと宝篋印塔と並んだ青石の石仏がある。巨大で分厚いがこれは板碑らしい。「遍照院異形板碑」という説明板がある。制作年代は中世だと思われるが記述はない。この板碑はかつて閘門橋付近の堤上の「勢至のマキ」と呼ばれる大木の下にあったものらしい。上部には蓮座に阿弥陀種子が刻まれている。脇の宝篋印塔は正徳5年(1715)霜月(11月)の造立年がある。

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異形板碑の近くにあったのが板碑型の古い庚申塔。造立年は万治3年(1660)6月と庚申塔の中でも極めて古い時代のもの。「奉造立庚申供養石塔二世安楽所 施主敬白」と刻まれており、三左衛門以下16名の願主名が刻まれている。その下には蓮華蓮葉が描かれており、時代を感じさせる。

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その近くには駒型の文字塔の庚申塔があった。中央には「造立青面金剛 猿(ヶ)又村道」とあり、両脇に宝永元年(1704)5月の造立年が記されている。側面には道標も刻まれているが読み取れなかった。

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参詣者駐車場の近くには駒型の馬頭観音がひっそりと植込み脇にあったが、ゼニゴケがこびりついていて側面の文字は確認できなかった。おそらくは大正時代くらいのものではないだろうか。葛飾区の資料では遍照院には他にも多数の古い石仏があることになっているが、墓所への立ち入りは今回できなかったのが残念である。

場所  葛飾区水元5丁目5-33

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2023年2月 2日 (木)

服部家墓所の石仏(葛飾区西水元)

中川と江戸川の間を繋ぐ大場川、その西の中川寄りの河岸近くにある服部家の墓所には魅力的な石仏がいくつもある。まれにこういう個人墓地に貴重な石仏があることがあるが、ここもその一例である。昭和の初期に氾濫を繰返す中川の流程をまっすぐに付け替えて、もともとの流れに流れ込んでいた大場川の名前が付けられたが、ここの大場川はかつての中川本流である。

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この辺りは昔は袋新田と呼んでいた土地で、北の大場川対岸は当時から今も埼玉県八潮市の古新田という地域である。辺りは新田だらけで、中世から盛んに開拓が行われたのだろう。墓地の裏手に六地蔵がある。区の資料では六地蔵が揃っていることになっているが、現在は右の3基は新しいものになっている。左の3基が元からのもので、左右の基壇に「村中男女講中」とあるが、造立年等の文字は見当たらない。

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六地蔵の近くに大きな2基の石仏がある。右側の舟型光背型の地蔵菩薩像は元禄4年(1691)11月の造立で、「供養庚申塔  猿ヶ又中新田村」の銘があり、さらに地蔵の足元に三猿が陽刻されているので庚申塔である。大正時代の地図を見るとこの墓地の辺りが猿ヶ又ですぐ南が中新田という地名になっている。左の板碑型の石塔は寛文9年(1691)10月造立の供養塔。「奉造立念仏講供養」とあるので、念仏講中による建立である。

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墓所の中程には駒型の庚申塔がある。日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄で、よく見ると線刻の二鶏があるようだ。造立年は貞享2年(1685)11月と古い。「奉造立供養庚申塔」「念仏講之衆」という文字も見られることから、江戸時代初期には庚申講中と念仏講中が入り混じって行われていた可能性を想像させる。

場所  葛飾区西水元3丁目32-1

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2023年2月 1日 (水)

堤上の銀杏下の祠(葛飾区西水元)

西水元の中川の堤防の上に大きな銀杏の樹がある。おそらく中川を往来する船にとってはある種道標になっているような大きな樹である。その銀杏の樹の下に祠がある。

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場所が場所だけに風雨にさらされて古さを感じさせる祠だが、それほど古いものではないかもしれない。しかしながら明治時代の地図にもこの祠の場所には石碑石仏の印がある。当時の地図にはこの辺りは佐野新田という地名になっており、すぐ東側は袋新田とある。堂宇の近くにある石祠には文化元年(1804)6月の造立年がある。

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堂宇の中には舟型の不動明王像が祀られている。造立年は寛政9年(1797)4月。台石に「成田山講中」の文字がある。この場所は昔は松戸経由の成田道だったところで、ここを経て成田山へ参詣した道すがらである。

場所  葛飾区西水元3丁目5 中川堤上

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