清見寺の石仏(杉並区梅里)
青梅街道に面して北側からアプローチする清見寺は曹洞宗の寺院。寛永元年(1624)の創建と伝えられ、この地に江戸時代初期からある。江戸時代から近代にかけて、この辺りは馬橋村、馬橋と呼ばれてきた土地で、青梅街道は当時から往来が多く、清見寺の南には関口や松ノ木などという集落が広がっていた。現在の梅里という地名は昭和43年(1968)に付けられた新しい地名で青梅街道に面した里ということで梅里と付けたものである。
現在の清見寺の本殿はとても大きく、見上げるような規模である。戦後の建物と思ったら実は昭和11年(1936)の建築であった。また明治8年(1875)から約10年間、桃園小学校の分校が置かれていた。現代のように寺域が町の喧騒から別世界に入ったような感覚ではなく、街と共にある寺という存在だったことが想像できる。
寺は往来のある青梅街道に面しているため北側から入るが、その入口に堂宇があり舟型光背型の地蔵菩薩像が祀られている。「北向清顔地蔵」とも呼ばれるこの地蔵は、寛文4年(1664)9月の造立で、尊像脇に戒名があるので元々墓石だったようだ。いつからか青梅街道の往来を見守る地蔵尊になったと思われる。
本堂の前には無縁仏塔があり、その主尊がこの丸彫の地蔵菩薩像。年代は不詳だが江戸時代ではあるだろう。下部正面に「日本回国奉納大乗妙典六十六部供養」とある。曹洞宗では珍しいが、江戸時代はいろいろな境目がごっちゃ混ぜになった傾向もあるので、ないわけではない。「武列多摩郡阿佐ヶ谷村、野方領馬橋村などの銘も刻まれている。
無縁仏塔の脇に大木の切り株のような台石に載せられた角柱型の馬頭観音がある。三面がはっきりとした馬頭観音で、造立年は大正11年(1922)9月、施主は浅賀富蔵とある。大正年間にこれだけ手の込んだ馬頭観音は少ない。
場所 杉並区梅里2丁目11-17
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