奥戸地蔵堂(葛飾区奥戸)
奥戸街道が新中川を渡る奥戸新橋の少し南の辻に立つ堂宇がある。なかなか立派な堂宇で、数坪の敷地に立っている。この辺りは江戸時代は奥戸村の外れで、これより東は上一色という集落だった。堂宇の前の南北の道は当時の中井堀が流れていた水路筋で、周辺は一面の田んぼだった。
堂宇の格子戸を開けさせていただいて中の石仏を拝ませていただく。右には大きな舟型光背型の地蔵菩薩像がある。造立年は宝永3年(1706)10月で、「奉造立地蔵菩薩二世安楽也」と刻まれている。左側はかなり摩滅が進んでいるが舟型の庚申塔である。日月は摩滅して不明、青面金剛像に邪鬼と三猿が確認できる。また左手にはショケラが下がっている。庚申塔の年代は不詳だが江戸時代中期だろうか。
格子戸の脇に説明書きが貼ってある。江戸時代宝永年間にここに在った角屋という家の前に地蔵が建てられた。風雨で傷むのを見かねて大正時代の中頃に地元の有志が御堂を作り奉納した。今の堂宇は昭和42年に建替えたものとある。ところがこの説明書きによると、左の石仏は馬頭観音で、文化7年(1810)観音湯(おそらく銭湯だろう)西の路上に建てられたものとある。しかし像形はやはり庚申である。観音湯(福島家)が堂宇を建てて祀っていたが、平成7年にここに移されたとある。
場所 葛飾区奥戸6丁目12-16
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