妙法寺の石仏(杉並区堀ノ内)
杉並区堀ノ内にある日蓮宗の妙法寺は都内でも有数の規模の寺院である。元和年間(1615~1623)に真言宗だった寺院が日蓮宗に改宗となり始まったことが伝えられるが、真言宗時代のことは殆ど分かっていないようである。この辺の宗派の関係については私は殆ど分かっていない。もともと宗派というのが好きではないので食わず嫌いの面もある。
巨大な山門の脇にある対の燈籠は、安永2年(1773)につ組、ね組および文政4年(1821)にれ組、ろ組と江戸市中の火消したちによって奉納されたものだが、基壇は明治の年号が入っている。山門自体は東京都の重要文化財で、天明7年(1787)の建立。万治年間(1658~1661)に徳川四代家綱が赤坂日枝神社に寄進したものを、明治元年にここに遷座したらしい。
建築物は本堂や祖師堂、二十三夜堂など有名なものが多いが、何気なく置かれている石塔石仏の類がなかなか珍しかったりする。この写真はさりげなく本堂脇に2基立っていたが、どうも見た感じキリシタン燈籠のようである。文字は何もない。
日朝堂の裏にポツンと立っているこの燈籠は、竿部をよく見ると延宝9年(1681)6月の造立年が刻まれている。時代的に傷んでいてもおかしくないがきれいな状態で保たれているのが素晴らしい。
墓所に入ると空が広い。手前にある無縁仏塔群の脇に立っていたのがこの駒型の石仏。描かれている主尊は阿弥陀如来らしい。上部にちいさく日月が描かれており、下部には横向きに二猿がいる。造立年等は文字が全くないので分からないが、庚申塔であることは間違いないだろう。
墓地の真ん中あたりにある荻野家の墓所には珍しい三角形の庚申塔があった。正面に「庚申」と彫り込まれ、その下に三猿が描かれている。三角形の庚申塔は青山墓地近くでも見かけたが、あちらは江戸時代末期の慶応元年(1865)の造立だった。他にもいくつかあるがあまり古い時代のものではなさそうである。
場所 杉並区堀ノ内3丁目48-8
| 固定リンク
コメント