海雲寺の石仏(杉並区成田東)
海雲寺は天桂寺に隣接する同じく曹洞宗の寺院。天桂寺がもともと江戸時代から杉並に在ったのに対して、海雲寺は異なる変遷を持ち、まずは慶長16年(1611)に江戸八丁堀に創建している。間もなく武家屋敷の拡大の為か、寛永12年(1635)になって浅草八軒寺町へ移転を余儀なくされており、現在地に引っ越してきたのは明治43年(1910)のことである。
山門は珍しく北西側にあり、くぐると正面に本堂がある。本堂までの左側には石仏が並び、その背後が墓所になっている。天桂寺、海雲寺は善福寺川の左岸にあり、河岸段丘を上がったところに立っている。寺社地としては典型的なロケーションと言える。
本堂の手前に珍しい燈籠が立っている。燈籠というよりは燈籠によく似た六地蔵幢と言った方がいいだろうか。竿部には元禄16年(1703)10月の造立年が刻まれており、「奉造・・・」とあるが欠けていて読み取れない。何とも不思議な六地蔵幢である。
その手前の堂宇に祀られていたのがこの木食上人の像と櫛型角柱型の馬頭観音である。杉並区の資料によると木食上人座像は安永9年(1780)正月の造立。「日本回国木食天無僊春比丘肖像行年百貮歳死」とあるらしい。一方の馬頭観音は尊像は不詳だが、「伝馬頭観音」と資料にはある。「武州多摩郡田はた村内 せき口」というのは関口の地蔵や海雲寺あたりの地名。この馬頭はもとは成田東3丁目28-2にあったものとされる。
場所 杉並区成田東4丁目18-9
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