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2023年4月18日 (火)

三峯神社の庚申塔(荒川区荒川)

荒川区役所の明治通りを挟んだ向かいのビルの間にある三峯神社。明治通りを歩いていても見逃してしまうかもしれないような入口である。明治通りは古い幹線道路で戦前からあったが、さすがに関東大震災以降の開通である。明治通りよりも古いのは区役所の東を走る都電荒川線で、現在の荒川区役所前駅(電停)は大正時代以前の王子電気軌道時代は「千住間道(せんじゅかんどう)」という駅名で、今も都電と千住間道は交差している。

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三峯神社は袈裟塚耳無不動と共に、現在の明治通りの向かい辺りにあった仙光院(明治元年廃寺)にあったものを三峯神社と共に明治29年(1896)に現在地に移転した。新吉原遊女紅山と悲恋に落ちた仙光院住職の光慧(こうえ)は悪い病で耳が落ち腰も抜けた為、寺の門前に袈裟塚を造り不動明王を安置して祈願した。この不動尊の台座には宝暦10年(1760)9月の紀年がある。「武蔵国豊嶋郡東叡山領三河島」の銘もある。

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左が三峯神社、右が袈裟塚耳無不動である。三峯神社には狼の狛犬が2対ある。手前の両脇には耳と鼻がそれぞれ欠けて補修した狛犬があり、こちらは昭和12年(1937)9月の建立、左奥にはそれ以前のものだろうかもう一対の狛犬があり、こちらは昭和4年(1929)4月である。造立年が近いのでもしかしたら2対4基が並んでいたのかもしれない。若干稲荷の狐の影響を感じる狼狛犬である。

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不動尊の後ろには古い3基の庚申塔が祀られている。左の大きい板碑型の庚申塔は慶安5年(1655)8月の造立で、中央には「奉造立本地青面金剛待攸」、脇には「結衆諸▢▢▢二世安穏所」とり、下部に清水姓の願主名が並んでいる。中央の板碑型庚申塔は延宝4年(1676)10月造立で、「奉造立庚申待尊容一躯為結衆二世安穏也」の文字がある。願主名は田中姓と清水姓が多い。右の小さい方の板碑型庚申塔は元禄4年(1691)11月造立。「奉供養庚申講中二世安楽攸」の文字があり、こちらは願主名の姓はバラバラで飯田姓のみ2人いる。これだけ古い庚申塔が集まっているのは珍しい。

江戸時代の切絵図を見ていて気になったのは、明治通り沿いにはかつて農業水路が流れており、仙光院から離れたこの水路脇に「石不動」の文字がある。現在の三峯神社の西隣にあたるので、もしかしたら袈裟塚不動は江戸時代には既に現在地にあったのかもしれない。

場所  荒川区荒川3丁目22-10

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