猿田彦神社の庚申塔(荒川区東日暮里)
荒川区の日暮里と三ノ輪の間には「カンカン森通り」という興味深い名前の通りがある。東京の人口密集地帯にカンカン森というのが引っ掛かった。その名前の由来がカンカン森通りにある猿田彦神社に由来するという。この神社は「神々森猿田彦神社」という。
社は小さなものだが、江戸時代には第六天社と呼ばれていたこの場所を「神々森(かんかんもり)」と呼んだ。明治時代まで音無川(石神井川)沿いに開けた田んぼの中にあり、竹藪生い茂る寂しい場所だった。昔はこの神社の前の通りを「第六天通り」と呼んでいたそうだ。江戸時代からの第六天社は後に胡録神社と改名、そしてさらに猿田彦神社となったという。
本殿の手前右側には複数の石仏石塔がある。説明板によると、実は本殿内には自然石の庚申塔があるらしい。説明板には写真もあったが、コケシ風のもので「猿田彦大神」と彫り込んであるようだが、その写真は昭和30年代のものと記してあった。実物は本殿内を拝観できないので分からない。
本殿前にはいくつかの石仏石塔があるが、その真ん中にあるのが板碑型の庚申塔。造立年は享保13年(1728)11月である。板碑型としてはかなり新しい時代のものといえる。中央には「奉造立庚申供養」とあり、その上にある梵字(種子)は胎蔵界大日如来を表すもの。下部には12名ほどの願主名が刻まれている。
庚申塔の近くにあった手水鉢は文化7年(1810)4月が造立年月。何気なく置いてあるが歴史のあるものである。この辺りはかつては金杉村と呼ばれた地域で、北に三河島村、南は上野寛永寺という都市近郊の村であったが、江戸時代は田んぼと溜池の広がる農村地帯だった。
<追記>
ぼのぼのぶろぐも気が付けば3000投稿になりました。東京23区内の坂道探訪に続いた石仏探訪もある程度網羅してきたところで、残りの石仏があちこちまばらになってしまい、仕事やその他野暮用で毎日の投稿が徐々に追いつかなくなってきたので、ここにきて投稿ペースを少し緩めることにしました。次のテーマのことも考え始める必要もあったりするためで、もし毎日楽しみにされている方がいらしたら申し訳ありません。今後ともよろしくお願いいたします。
ぼのぼのぶろぐ管理人
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